2011年12月06日

 まずは、お忙しい師走のこの時期にも関わらず多くの皆さまにお出かけ下さったことを感謝申し上げます。夏のライブから5か月しか経っていないのに来ていただけるのか不安もありましたし、宿の方も始めたばかりで、大丈夫だろうかという危惧ももちろんありました。いつものことですが、ついつい勢いで決めてしまう癖があるもので、夏の2日目のライブが終わった打ち上げの時にベースの川上さんから、この家だったら東京のプロでも演奏しに来るよ、という発言にすぐに反応してしまい前後のことを考えずに12月3日を決めてしまっていたのでした。

 企画した目的は幾つかあり、多くの皆さまに素晴らしいジャズヴォーカルの大島さんの歌声を聞いていただきたいのと、宿でもライブをしたいというのが大前提でした。大島さんがお友達と泊まりに来られたときに宿で最初のミニライブ快く引き受けてもらい、黒川温泉の知り合いの方々を前に歌ってもらい好評を受けました。中学の同級生が9人で泊まりに来てくれたときも、浦郷君と深川君がフォーク等をギター伴奏と歌で披露してくれました。70年代のフォークで育った世代としては厨房で聞きながらも懐かしい限りでした。特に深川君作の「子供時代」という佐賀の風景を取り込んだ詞は素晴らしい曲で、是非とも世に出していただきたい1曲でした。もう一つは、ピアノを弾く二人の息子にプロのピアノ演奏を目の前で聞かせたいというのもありました。もう一つは、好きなジャズを目の前で聴きたいというのがありました。

 東京で70年代を過ごした私にとって、学生運動の背景曲としてフォークがあったような気がします。政治に結びついた時代で、今とは違って生活のために政治を世の中を変革しなくてはという思いが強かったと時代です。残念ながら今は政治に緊張感がないようです。国民を愚弄しているとしか思えません、国民の側も、自己の生活に安住しすぎたのかも知れません。70年代のその政治の季節に新宿のピットインとか渋谷のジャズ喫茶に通っていたことを思い出します。大学3年の時に初めて行ったヨーロッパ旅行のパリでもジャズのライブの店に入り、すさまじいパワフルな黒人の演奏に感激したことを覚えています。内面の混沌に押し潰されそうで暗い高校時代を送っていたある夜のラジオから流れていた、ジョン・コルトレーンのサックスに佐賀にはない違った世界があることを知らされたのが、ジャズとの最初の出会いがあったようです。
 
 経済連を辞めて、教職の資格を取るために奈良で2年間大学生活を送りました。その時期も西大寺にジャズ喫茶がありよく通っていました。京都にも寺巡りで度々出かけていましたが、その際も河原町の路地にあった、「厭離穢土」とういうジャズ喫茶の名前に惹かれて通っていました。教職に就いた最初の修学旅行の京都の地では先生達を引き連れてジャズ喫茶に行ったことを思い出します。そういうジャズとのつきあいは長いのですが、好きなプレイヤーを挙げろといわれると窮するのです。何枚もCDも持っているのですが、この人というよりジャズの醸し出す大人の洒落た退廃に惹かれたのかも知れません。だから、聴く曲は大編成やデキシーよりコンボのモダンジャズでピアノやサックスを好みます。大学時代ジャズ喫茶に流れていたフリージャスには付いていけませんでしたし、その後のフュージョンも合いませんでした。

 こういうジャズとの長い付き合いをしていたので、ピアノを弾く二人の息子にはジャズを強制的に勧めました。練習曲から始まりクラシックの前で終わるのがだいたいですが、教えていただいた小林先生が自由にさせるタイプの方だったので、今でもマンションに電子ピアノを置いて気晴らしに弾いているようです。長男はJポップ次男はジャズからクラシックJポップを弾いているようです。この二人にプロの演奏を生で聴かせたかったものです。ジャズを聴き続けている私にとって、我が家で聴ける事は夢のようでした。まさか、水上勉の作品に惹かれて徘徊していた京都の先斗町で聞いたジャズを30年後の我が家で聴こうとは思いもしませんでした。それも、やはりイベント好きだった私の生活の延長上にあるようですし、遊び心いっぱいで造ったカフェー風のこの家のおかげでもあります。この家に来て下さった友人知人がなんかくつろげるという感想を漏らしているのを聞いていたため、いつかはこの家で何かをしたいという思いは持ち続けていました。それが、好きなライブの演奏会場になるとは予想もしなかった事とはいえ嬉しい限りです。

 そのほかに主催者でしか味わえない喜びの時間があるのです。開演前のリハです。出来上がった舞台を見るのはどなたにも機会が与えられています。宿をやり始めてからそこに至るまでのプロセスが気になっています。場を作り上げるのはどなとも苦労されているようです。宿もお客様をお迎えして生き生きと活気づいてきます。お迎えするお部屋のしつらえ、露天、接客そして楽しんで期待を膨らませておられる料理。料理屋さん等に行ってもなるだけカウンターに座り人の動きを見ているのです。料理も演奏会と一緒でお客様を目の前にしてからはやりなおしがきかないのです。

 夕食の時間が近づきお客様を食事処の席に案内すると、お出しする料理もライブ感と臨場感あふれる緊張の中で作っていきます。女将が作ったその日のお品書きと、お客様の口にしか残らない、すぐに消えていく料理に時にはもどかしさを感じることがあります。料理をした体感はあっても、私の手元には作った料理の実態が残されないからです。それがお客様に提供する料理であり、おいしかったという言葉が次の料理に向かわせる励みになるようです。今回のリハで学んだことは、プロの演奏家は事前打ち合わせ無しで大島さんの歌う曲を当日すぐに演奏できることです。プロは当然かも知れませんが、部分部分の調整だけで曲が出来上がっていくのです。その舞台を作っていく過程を、舞台の裏側をプレイヤーの素顔を見られるのも我が家で催すライブの楽しみの一つです。

 私も野菜等の素材一つから生まれるここでしか味わえない料理を目指しているのですが、まだ暫く時間がかかりそうです。ただ、料理は演奏と同じでライブ感が大事です。この秋に植えた渋柿の熟柿を見てひらめいた料理もなるだけお出しするようにしています。作った者の手元に残らない料理であれば、お客様の胸の中にだけは味の余韻が刻める料理人になるよう精進していくつもりです。

 今年の秋はどこもきれいな紅葉を見ることが出来なかったようです。寒くなるのは苦手ですが、季節に合った気温になって欲しいものです。秋は秋らしい寒さでないと、植物も野菜等もどう成長していいのか困っているようです。しかしながら、気候の変調も元を正せば私たちが環境をないがしろにした生活の結果なのです。きれいな紅葉を毎年見られるようにするためにも、私たちの生活をより循環型に近づける必要があります。古天神のモミジも真っ赤に染まらず無惨にも散ってしまいました。露天に散ってくるモミジが来年こそは真っかに染まり、お客様を楽しませることを願って・・・

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    大島さんと川上トリオのリハ

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    VO 大島麻池子

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     ベース 川上俊彦

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       ドラム 中村 健  ピアノ 緒方公治

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     9月30日 宿での大島さんのミニライブ 箸をマイク代わりに
     
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    11月5日 成章中の同級生一行 浦郷君と深川君の宿での演奏




         23年12月6日

         『イフ・アイ・ワー・ア・マジシャン』ルウー・ロウルズ

         この曲を繰り返し聞きながら

         風のテラス古天神 オーナー 井崎




posted by 風のテラス 古天神 at 17:02 | Comment(0) | 風のテラス便り