2012年01月10日

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 寒くはございませんでしたか とねぎらいの言葉をお掛けしたところ 冬は寒くて当たり前 夏は暑くて当たり前 先日お泊まりになられたお客様の言葉。この寒さや 何もない殺風景な冬枯れの景色にこそ奥深い魅力を感じると言って下さるお客様に救われています。この地ではこの言葉が生きています。冬は特に1.2月の頃は厳寒の気温となります。昼間でも最高気温が5度くらいまでしか上がらない日もありますし、最低気温は零下10度位まで下がる日もあるようです。

 寒さに弱い私が果たしての地でやっていけるのかと心配していましたが、寒さには慣れるようです。室内は暖房があるし、室外も防寒の服さえ着れば、また体を動かせば寒さをさほどには感じません。佐賀の地では昭和30年代の本当の冬の寒さを知っている者にとって、今の佐賀の冬の方がどこかがおかしいと感じていたのでした。この地では冬が冬らしい季節となるのです。もちろん、この小国も30年代はもっと厳しい冬だったはずですが、佐賀から出かけた人間にとっては小国の冬は 冬そのものでした。
 
 また佐賀の地での冬を味気なくしていたものの一つは、雪景色が滅多に見られないことです。朝起きて一面真っ白な雪景色には寒さを忘れて見とれていました。あのころは家の周りはほとんどが貧相な建物と田圃しかなかったのですが、暫しの間生活感を隠してくれて、幻想の世界に浸れたものです。軒先に降り積もった新雪を母親が茶碗にすくって、砂糖をかけて食べさせてくれたものです。あのころまでの田舎の雪は大気汚染もなく食べられたのです。真似をして東京の大学時代にやってみたらとたんに腹をこわしました。田舎の雪は本当の純白だったのです。宿にも待望の雪が降りました。お客様をお迎えする前だったのでどうなるかと心配しましたが、ご宿泊の頃までには大方消えてしまいました。雪の露天は堪能して頂きたかったのですが、雪道の心配もしていたのでした。国道等は除雪もするようですので大丈夫ですが、お越しの節は雪道用のスタットレス等の装備をお願い致します。

 宿での初めての正月を迎えました。注連縄を飾り、佐賀でいつも搗いてもらっているホームラン堂さんの餅を昆布と裏白の上に鏡餅 盛り米の上にダイダイと葉付き小ミカンに干し柿を飾りました。なんとか正月らしさを整えて、大学から帰省した二人の息子とお屠蘇で新年を取りました。宿での正月をどのように迎えるのか、どのように過ごすのかとまどいながらも煮すぎた雑煮に文句を言われながらも、初めての宿での正月を過ごしました。

 大晦日には例年は年越しそばを作るのですが、子供達のリクエストで年越しパスタにしました。大晦日にパスタを食べるのは佐賀に居たら多分しなかったと思います。お客様にも事変わった料理をお出ししているのでいいのではと言う、女将の言葉に後押しされて地元の時松さんちから仕入れているほうれん草と阿蘇神社近くのクララハム工房のベーコンを使った、トマト味ベースのほうれん草のパスタで年越しをしました。長年行っている慣例が伝統になるのですが、それを破ることには抵抗もありました。いつもと同じ事を続ける営みが文化の基層を作っていくのですから、それを中断することに対する後ろめたさの意識も心のどこかにもありました。しかしながら、農業を代々やっていた家の長男が佐賀の地を離れて、小国で宿をやることがそもそも今までの習わしから外れているのですから、年越しのパスタが在ってもいいのではと自分に言い聞かせて、大晦日の夜に厨房の片隅を4人で囲ってフォークを使いました。

 常識めいたことに縛られるのはなるだけ避けようとしている自分の中にも、その一方では文化を形成する習わしを大事にし、伝統を尊重しようという姿勢も持ち合わせている事に年越しパスタで気づかされました。周りも自分も大晦日は年越しそばが当たり前だったのです。それを息子は難なく、何の執着なく飛び越えるのです。それが習わしに束縛されていない若い世代であり、また新たな文化を創っていく試行錯誤の原動力でもあるのです。習わしに従うのが安易でもあるし、それを守り続けていく事にも労力を要します。生活が惰性に流される無自覚な習わしだけには懐疑的にならざるを得ませんが、新たな習わしを作る姿勢だけは持ち続けるつもりです。

 12月の31日の大晦日に日本中で年越しそばを食べるという、いつもと同じことをする習わしを壊すことに対する抵抗がどこから来るのかを考えたら、今までと違ったことをして訪れる不運や不幸に何となく不安を覚えるために、新たなことをすることにためらいがあるようです。大晦日に1年の締めくくりとして年越しそばを食べないと新年を迎える気がしないというのもありますし、本来の由来を大事にして続けるというのもありますが、平穏無事を願う心理がいつの間にか常態化して堅い殻を作っていくのも事実です。それが習わしとなり代々受け継がれて伝統となるのですが、しかしながら、その習わしの殻に籠もっている内に、その世代全体を取り残して時代が進んでいくのも厳しい現実といえます。自分の中でも周りでも、知らず知らずの内に埃が溜まっていくように束縛される、不安の怯えの呪縛にだけは囚われたくはありません。

 標高700メートルの暮らしを日常は感じません。生活の場はあくまでも少し起伏の多い平地ですが、散歩等でその場を離れて遠くの山々を眺め、宿を振り返るとその高さを実感します。散歩コースには今は冬枯れの景色のみで、クヌギが枯れたままの葉を付けススキも枯れてうなだれています。建物は何一つない本当に山々だけの間に、遠く沈みゆく夕日の残像が空を紅く染めていく夕暮れの美しさを見られることも散歩の時間に発見しました。阿蘇の山の景色の良さは牧草地が多く見られるからのようです。昔この地は開拓者によって拓かれたようで、山の中で牧畜を飼育し、炭焼きを生業とした小屋等も在ったようです。今より寒い厳しい冬を粗末な山小屋で過ごす苛酷な生活の歴史がこの地には刻まれているようです。この宿の地名である「ふるてんじん」の集落には以前は人も住んで居たことが在るようです。現在はこの宿のみが存在するのですが、ここの場所を切り拓いた人たちの存在は忘れないようにするつもりです。この地の開拓者達は何ものにも囚われずに、過酷な困難を乗り越えて新しいこの地を造ってきたのですから。


平年なら新しい年が平穏無事であることを切に祈りつつと

 正月らしい言葉で終わりたいのですが 

 平穏無事を神任せ・人任せには出来ないほどに政治も経済も

 生活も

 難題が山積みしているこの時代こそ

 東北大震災の被災者のことを忘れず 被災者の苦しみに

 寄り添いつつ

 皆様の元気にいくらかでも貢献できる宿を目指します

 厳寒の空でも輝く月を これからの険しい道の指標として


 
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2011年1月10日
風のテラス 古天神 オーナー 井崎


この文を補足している11日午後10時現在の
外気温は零下2度ですが、深夜には
零下10度くらいまで下がる
予報がでています。何となく楽しみですが
午前3時頃に起きる自信はありません。

寒々とした南の中天の空には凛とした満月。




  
posted by 風のテラス 古天神 at 14:31 | Comment(0) | フォトギャラリー