蜩 ヒグラシ

 この宿に来てというか、この高原の地に来て生活感が変わりつつあります。もちろん、毎日の勤めの生活から全く仕事が変わったのですから当然のことでしょうが、次第に現実の生活から遠ざかった様な、遊離してしまったような生活様式になりつつあります。毎日の仕事勤めをされている方には申し訳ないのですが、仕事上から派生していた、仕事以外の人間関係等の諸々の煩わしさはありません。宿に関する諸々の煩わしさは想定以上に多いのですが、何をやるにも課題は付き物ですし、課題も宿の経営の一つでありますし、課題に取り組むこともやりがいの一つととらえています。課題の解決に向けて方策をいろいろ立てるのも宿経営の醍醐味でありますし、課題の先にあるものがなかなか見えない不安定感をも楽しめるとまではいきませんが、そのゆとりは失いたくはありません。

 勤め人時代も多くの困難や苦労もありました。困難には誰もが直面するのですが、組織が緩衝地となって受け止めたり、組織と自己との狭間に立ったり、組織が優先されたりとどうしても組織の一員として働いているときにはその恩恵と束縛の両面がありました。ただ教師の仕事は、クラスの担任として教科の担当としては、自己のアイデアを十分出せる面があり私には適職ではありました。組織にどっぷりと浸かれない人間だったから、そのため組織の人間からは厭われていました。組織の一員としてしか動けない人は、大津のいじめの事件の様な情けない対応しか出来ないはずです。生徒よりも組織を優先させている典型的な事例ですので。崇高な理念的を掲げるハードな面の教育は組織が行うのですが、個々の一人の生徒の直面する課題に取り組むのは個々の教師の熱い教育力なのです。教育力を磨かずに組織に依存してしまっている教師に出会った課題を持つ生徒は不幸でしかありません。利益を最優先しなければならない民間の会社ではこの論理は通用しないのは分かりますが、教育の現場ではあくまでも未来の可能性を秘めた生徒を育むのが最優先されなければなりません。教師の教育力さえ摘もうと企てている関西のなんとかの会などもってのほかです。

 宿の経営では後ろ盾となるものは何もありません。組織の恩恵も束縛もない代わりに、個々の課題に真っ正面から直面するしかないのです。肩書きもないので、権威に寄りかからなくて素の自己に頼るしかありません。確かに、教育の現場では肩書きの権威に寄りかかっていた人物を多く見かけていました。組織から離れてみますと、一人としての個性や特徴が試練に立たされます。肩書きに依存していた人が哀れな人物に見えて来ますし、組織を離脱して輝いてくる人物もおられるのです。生徒の困難や課題に直面し、共に解決の道を目指せるのは、この宿の経営に似たようなものがあります。権威や組織はなんの助けにもならないし、直接の困難や課題を自己の力で解決できる所は、教師の教育力に通じるものがあります。生徒の喜びを糧として仕事をやって来ましたし、お客様の喜びをなによりの充足感として宿の経営も行っていきます。

 この地に来て生活様式が変わりましたと書きましたが、その変化の要因の一つは音にあるようです。佐賀と違って生活感の音はほとんど聞こえてきません。そのため、孤立感に陥ることもありますが、安らぎの音の方が溢れているのです。だから、都会の喧噪の中でしか暮らせない人には、山の中での生活は不向きかも知れません。春になり最も早く聞こえだしたのがもちろんウグイスです。それから、ホトトギスも鳴いています。初夏になり、待ち望んでいたカッコウが鳴きがしたときには、高原の生活の素晴らしさを実感出来ました。カッコウはウグイス等とは違って同じ所にとどまりません。あちこちに動き回って鳴いています。普段は遠くで鳴く事が多いのですが、たまに宿の近くまで来て鳴くこともあります。お泊まりになられて聞かれたお客様は幸運だったはずです。瀬音は絶えず聞こえております。先日の大雨の際の激流は轟音となってとどろいていました。

 やっと梅雨も終わりに近づいた頃の夕方から聞こえだしたのです。佐賀では日中のクマゼミの鳴き声はうるさくしか聞こえませんでした。宿では日中のアブラゼミの夏らしい鳴き声を期待していたのですが、日中の蝉の音は余り聞こえてきません。その代わり、夕方の6時以降になりますと決まってヒグラシがもの悲しい鳴き声を一斉に立てるのです。夏の夕暮れはゆっくりと長く続きます。ヒグラシの鳴き声は長い夕暮れの余韻をかき立てます。宿のすべてが寂寥感に浸されて、まもなく夜の闇が下ろされます。そして空には瞬く星空が広がります。高原では夏の方が星の輝きがより多く見えます。もとより空気が澄んでいるからです。

 自然と一体になった生活をしていきますと、現実の生活から遠ざかっていくのも仕方ありませんし、生活様式が変わるのも自然の流れかも知れません。しかしながら、お客様は旅行や旅に求められているものはなるだけ現実感のない安息の空間ではないでしょうか。浴衣の女性達がそぞろ歩きする旅館街も風情があるので好きですが、現実離れした宿の空間に暫しの間お泊まり頂き、お疲れになっている心身を露天風呂とお料理でおもてなしさせて頂く事が出来るのが、宿の持つ癒し力の一つではないでしょうか。そこには、夏の宿の風物として、ヒグラシとカッコウは欠かせないものです。


 7月 25日
 古天神 井崎



 










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