2014年06月18日

けぶる雨

 霧雨のような雨の中、宿の近くを歩きました。もやがかかり遠くの山々の景色は煙ってしまっています。一度夏のように気温が上がった後低い気温が続いています。今年が特別なのか、ここ小国では6月でも肌寒い日が続いています。5月の初夏を過ぎれば熱い夏に向かって進むのかと思いきや、夕方からは冬に戻ったかと思うような変化の激しい気候がこの小国の特徴かもしれません。幸いこの宿は標高が高いために梅雨時でも平地のようなじめじめ感が少なく、いくらかさらりとしていることをここに住み初めて感じています。

 梅雨のどんよりと曇った景色の中、雨に濡れた樹木の木の葉は潤いを持った緑を放っています。たっぷりと水分を吸って瑞々しい林や森の姿を見せています。雨は苦手なので梅雨も出来たら避けたいくらにありますが、激しく降らない霧雨のような雨は景色をしっとりと見せてくれて、梅雨の季節をゆとりをもって臨めさせくれる雨の降り方のようです。この宿からはしっとりと落ち着いた緑を濃くした樹木や草たちが見えています。厨房での料理の際に目の前に広がる緑に何度元気をもらったものか。お客様方の感想にもますます緑の覆われていくこの宿の静寂さを気に入ったいう声を多くいただくようになりました。建築当初よりも小鳥たちの鳴き声が多くなりました。姿はなかなか見せませんがウグイスにホトトギス、そのほか名前が分からない小鳥たちが数多くさえずりの声をあげています。もう初蝉も鳴きましたし、これから夏にかけてはヒグラシの大合唱に宿は包まれて行きます。

昔佐賀で農業をやっていた頃のこの6月の梅雨時は一年で最も忙しい時期だったのです。この宿で今このように梅雨景色をゆとりをもって眺めるなど全く考えられない季節だったのです。ただ子供でもあったので家中が田植えのために、とんでもない忙しさであったのは覚えていますが、どこか他人事のように過ごしていた気がします。多分両親が農業の苦労を余り子供にはさせたくない気持ちがあったのかも知れません。いくらかの農作業は手伝ったことはありますが、農業の本当の苦労をしないまま大人になっているようなので、今では両親に申し訳ない気持ちで一杯です。畦の草取りを父親としながら延々と続く腰をかがめた終わりの見えない農作業に自信をなくした情けない自分がいたことを覚えています。田植えや稲刈りをすべて手作業でやっていた頃の農業だったので特にやっていけるか不安があったようです。肉体的な農作業の苦労をしてきたあの時代は、江戸時代からほとんど同じような肉体に汗した重労働だったのです。あの時代は農業だけでなくその他の職業も似たような苦労をされていた時代だったはずです。人生の本当の苦労をされて来た人たちは腰が据わり体の奥底に芯を持っておられるような気がします。表面だけでなく、家族や地域に根付いた生活の重みを働きながら体現されてきたようです。それが社会であり、時代を作り伝統となり文化を形成し歴史となっていくのです。

 肉体に汗して働いている人の人生には頭が下がります。時代の発展とは人間の重労働からの解放でもありました。重労働だった肉体の苦労から解放され軽減はされたのですが、人間は新たな苦悩を抱えているのです。目の前の人の手の肉体的な労苦が機械やネット等が代わりにやってはくれたのですが、目の前にあったやるべき苦労に割いていた時間の使い方に慣れず、進むべき目標さえ見失い途方に暮れて、心の隙間を埋める手立てが見つからず、悩みを抱え始めているのです。延々と続く草取りは、延々と続いていくはずであった歴史の一コマであったのです。そこには肉体の苦労はあったのですが、苦労を誰もが共有しているという安心感が時代の証としてあったのです。だから誰もが苦労を苦労と思わず、また誰もが貧しかったので貧しさに恥ずかしさも生じていなかったのです。農業をやっていた両親の頃に都会の近代化が伝わってくると農業の苦労が顕在化してきたはずです。そのために子供には農業の苦労はさせたくない気持ちが湧いてきて子供に余り農作業を手伝わせず、親の自分の代で農業の行く末を見定めていたのかも知れません。

したいことをさせてくれた両親には感謝してもしたりません。親には相当苦労を掛けてきたのを子を持つ親となり今更遅いのですが実感しています。前のめりに人生を歩いてきたようです。何かにせき立てられるように。もっと立ち止まってじっくりと腰を落ち着けてあたりに合わせても良かったのかも知れませんが、前に突き進むことしか頭になかったのです。多分若いときの大病がそうさせているのは間違いありません。ここまでの人生をその当時は考えなかったのです。今では無謀なもなことを平気でやってきたし、やれた時代でもあったのです。大学を出て勤めていた所をやめて母親を泣かしてしまい、母親の心配をよそにバイクでは長野まで4回も走りに行きました。そのほか数え切れないくらいの心配をかけ続けたようです。農家の長男で佐賀を離れて宿をやるなど父親が元気な頃は言い出せず、隠してこの土地も求めていました。苦労を余り顔には出さずに働き続けてきた両親のおかげでこの宿もやることが出来たのです。


 曇り空の梅雨の季節には紫陽花の花が明るい光を周りに放っています。この小国では5月の連休頃に田植えが行われますが、梅雨の季節はどうしても両親が忙しく働いていた田植えの時期を思い出し、両親の苦労に思いが及びます。しっとりとした梅雨特有の季節がそうさせるのか、それとも小国の農家の方が雨の中腰をかがめて、苗の補植をされていたのが両親の田植えの姿を思い出させたのかも知れません。霧雨にけぶる山の梅雨の景色は緑をいっそう際立たせますが、時代から消えつつあるあの時代の農家の苦労も梅雨の空の中で忘れてはならない人間の大切な記憶として残していかねばならない気がします。その苦労の上に現在の私達があるからです。


ほととぎす鳴く夜は涙にじみ出る

郭公を遠くに聞きて人恋し

ほのかなる蛍の明かり胸に抱く
 

おぼろげな満月の夜はおろおろと

初蝉に真夏の空の降り注ぐ

整然と並ぶ早苗に父の腰

弟の逝きし6月雨重し

子を亡くす母の嘆きは梅雨の空  

梅雨空の虹の向こうに忘れ物

たたき梅作りし頃の子はいずこ

曇天の梅雨の空にも蛍飛ぶ  

儚さを紫陽花の赤包み込む

梅雨空の雨音聞きて本閉じる

虚しくて梅雨の雨にも傘差さず


 

26年6月18日




古天神 井崎
posted by 風のテラス 古天神 at 18:26 | Comment(0) | 風のテラス便り
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