カッコウ 郭公

ウグイスの鳴き声も新鮮みに欠けだした頃ホトトギスがあちこちで鳴いています。春を代表する野鳥はウグイスに変わりありませんが、古来から愛され続けている野鳥はホトトギスかも知れません。和歌に詠まれ、徳富蘆花の小説の表題であり、正岡子規の弟子の高浜虚子からの伝統俳句がホトトギス派ともなったホトトギス。ウグイスとは違って情緒を感じさせる鳴き声ではありません。むしろ釈然としないような鳴き方なのです。聞く人によって鳴き声が違って聞こえる鳥はホトトギスしかいません。他の野鳥はさえずる鳴き方なのですがウグイスやホトトギスは季節を確かに具現する鳴き方なのです。まだ寒さの残る晩冬の初鳴きのウグイスには、待ちわびた春の到来を感じます。蝉も初鳴きをしました。しかしながら、何か釈然としない鳴き方のホトトギスの初鳴きは耳に残らないのです。いつのまにかあちこちで鳴いているのです。

 何か釈然としない鳴き方がそれ故に、夜のホトトギスの鳴き声には哀しみを覚えるのです。人の人生など釈然としない連続かもしれません。釈然としないために不思議であり未知であり、哀しみであり、生きている確かな手応えと安息を求めてもがいているのかもしれません。暗澹たる淵を横に見ながら危うい必死ながらも滑稽な歩みをしているのが、 大半の人たちではないでしょうか。多くの野鳥は一度聞いても似たようなさえずりで区別が付きません。ウグイスのような誰が聞いても分かるような鳴き方の人生を目指したり、多くの野鳥のようなさえずりにしかならない人生で終わる人が普通です。しかしながら、ホトトギスの釈然としない鳴き方に思いを馳せるのも人生の深淵を求める生き方かもしれません。だから、文学者はホトトギスを表題にしたのであり、ホトトギスは俳句の題材にもなるのです。

 宿に来て頂くお客様の人生の機微を聞くことがたまにあります。お客様とは程良い距離を保つようにしておりますが、この宿に来て頂くお客様は和まれてかよくお話をして頂きます。皆様暗澹たる人生の淵を覗かれていますので、この浮世離れした宿を気に入って頂いております。仕事や職業や地位は何であれ、誰でもその人の人生は外から見られるように華やかではないはずです。苦労と苦渋と忍耐の生活を送られた多くの方が、その苦労を外には出さずにしばしの憩いにお見えになります。その方々にしばしの安息の時をどこまでご提供できているか、まだ不十分ではありますが心がけているつもりではおります。家庭におもりを背負われた方や、仕事で寂しさを感じられたり、人は誰でも傷を内に担って明日に向かっているのです。人は強がりなくせに傷つきやすく寂しがりやでもあるのです。夜鳴きのホトトギスを聞いただけでも哀しくなるのです。哀しみを胸の奥に多くもたれた方が人に優しく豊かな方のような気がします。

 お客様からよくこの宿で癒されたとお聞きしますが、こちらとしてはむしろ、逆にお客様の言葉に励まされて元気を頂いております。いつも来て頂くお客様の顔を見ないと不安になったりするようになりました。お客様の笑顔が女将と二人で宿をやっていく上での大きな支えとなっております。



 遠くの方でカッコウが鳴き出しました。なぜかカッコウは遠くで鳴くのです。そしてこの時期にしか鳴きません。山の奥の方からかすかにしかし明確に聞こえるのです。初夏の到来です。つい先日まで石油ストーブを朝方につけていました。この小国では春はほとんど佐賀の冬に近い気温です。5月にして10度を切るなど、春の季節の中なのでよけいに寒さを感じていました。しかし、やっとカッコウが鳴きました。やっと春本来の気温になるようです。実はホトトギスもカッコウ科の野鳥なのです。カッコウは夏の青空をももたらしました。冬の寒さに震え、人生の鬱屈さに打ちひしがれていた身に、カッコウの鳴き声は光明をもたらしました。音楽がないと生きていけないほどの身でありながら、この数ヶ月音楽を遠ざけていました。音楽さえも受け入れないほどに、こころのひだが摩滅していたのです。山の奧から聞こえてくるカッコウの鳴き声は心を弾ませてくれました。明確な季節の到来を告げる鳴き声がお客様に届く宿になれるように、山の奥の方で精進を続けます。

ホトトギスおぼろに鳴きて石を蹴る

カッコウの鳴きける方に歩むのみ
 
摩耗せる心のひだでホトトギス

初鳴きの蝉は瞬く抜け殻や

のっそりと狸は動き世は眠る

ホトトギス鳴きやまぬ夜は闇のまま

カッコウの遠くに鳴きて空青し

カッコウの鳴く空遠く雨近し


風のテラス古天神  井崎
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