2011年05月23日

梅雨の走りの降る窓の外に、山法師が白い花を咲かせています。今年は気づくのが遅くやっと最近になって白い花を目にしました。家にいながらにして花に気づかなかった、日頃の生活のゆとりのなさに呆れます。宿のオープンまで残すところ約3ヶ月となりました。現実の厳しさがより近くに感じられ始めると、次第に本当にやっていけるのかと不安も心配も膨らんできて、二人して重い気分に押しつぶされそうになってきていました。何もかも準備することが多すぎて、どこから手に付けていいのか混乱していました。そういう生活を送っていますので、窓の外の季節の変化にも目をやるゆとりも無かったようです。山法師は好きな花の一つです。可憐な花をひっそりと気品高く咲かせているたたずまいに惹かれます。宿のあり方も、そういうたたずまいを基調としたいのですが、暫くの間は粗相や失敗の連続であたふたとした、とても山法師のような咲かせ方は難しいようです。ただ、おいで頂いた試食会でも助言いただいたように、私たち夫婦の気さくな飾りのない雰囲気はなくさないように心がけるつもりでいます。上質な宿の雰囲気、上質な部屋の造り、上質な料理はお出しする予定ですが、気取った堅苦しい心の通わないおもてなしだけは、避けるようにしていくつもりでいます。

 これからはサービス業を始めるわけですが、もう既に仕事をされている方々の話は厳しいものがあります。もちろん、これまでの仕事も大変な面ももちろん多く、それなりにやってきたつもりです、教えられたことも多くありました。苦労もありましたし、どうにもならないような困難に直面したこともありますが、救いは生徒との関わりの中では生徒の笑顔に何回も助けられたことです。また、ある企画に対しクラスの生徒がまとまって自ら動き出したときの感動体験は、教職生活の今にして思えば宝のような気がします。教職生活の大半は生徒と何かを作り出す体験を共有してきたような気がします。教育が厳しいしつけをしなくてはいけない面もあるのは当然だし、そういう中での人との関わり方しかできない生徒もいるのも事実です。ただ、規律を押しつけることが目標で規律の先にあるものが思い描けないような、そこから教育の創造に結びつかない指導にはずっと違和感を感じていました。生徒と企画を考えてイベントを成功させるためにどういう役割や配慮が必要か、何を課題としてみんなで論議すべきかを、そこから人間関係のあり方も学んでいく教育に努めてきたつもりです。

 そのために、業種は大きく代わっても、宿の企画もこれまでの生活の延長上にあるような気がするのです。果たして、お客様が笑顔で宿を帰っていただくかはこれからの私たちにかかってくる訳ですが、そこに労を注ぐのは惜しまないつもりでいます。かつて現役の生徒達に仕事を辞めてからの夢の話を聞かせたときの生徒の目は輝いていました。夢を描けない生徒・子供達が増えています。生きる指針を提示し、意欲を育み希望を叶える方法を語っていけば、この国の将来を背負っていく創造溢れる人材が育っていくはずです。生徒の表層だけを見た、生徒の心の中に届かない指導では、つまらない大人の人生を教えたにしか過ぎません。

 先達の教師には枠にとらわれない個性豊かな先生達が多くおられました。パソコンは出来なくても血の通った厳しくも暖かい指導をされていました。学校に活気が漲っていました。生徒も個性に溢れていました。教師の幅を狭くしたのはただ単に現場に責任があるよりも、そのような教師しか育てないような教育のシステムにしてしまった政治にも責任があります。このような大震災を前に、国民は一つになって何とかしようと支援の気持ちでまとまっているのに、政治家達のこの期に及んでも政局にしか出来ない愚かさに情けなさを通り越します。長い目で、こういう国のあり方を変えていくのが教育であり、そこに現場の教師の存在価値があるはずなのです。多くの生徒に夢を語ったことを私は実現させたいし、言葉だけでなく行動としてやり始めることが、仕事を辞めてからの、生徒に対する責任の取り方だと思っています。これからの事業が失敗するか、成功するかが問題ではなく、教壇の上で言ってきたことを実行に移して、やっと本当に教職の仕事を辞められたような気がするのです。もちろん、このことは私の胸の中の吐露ですので、お客様に対しては宿での楽しみをいかにして満足していただくかしか考えていません。

 さいわいにして、宿の色んな話をさせていただいている方々からは応援の言葉を多く頂いております。レストランの方、宿の女将、教え子、中学や高校や大学の同級生・後輩、元のJAの仲間、教職の仕事で知り合った方々、家内の関係の方々、現地で知り合いになった方々、旅先で知り合いになった方、親類縁者、地元の方々、そのほか色んな縁でつながりが出来た多くの方々から暖かい応援を頂いていることに感謝をしております。不思議なことにそんなことをしてどうするのだとか、何かを始めるときに出る、心配からの忠告等はなく応援の言葉、期待の言葉が多いのが私たちの支えにもなっているようです。もし、そうではなく非難の言葉が多かったら、私たちの先にはこれから始まる梅雨のような暗雲立ちこめた宿になるのでしょうが、ほとんどそういった言葉を受けませんので、私たちが甘いのかも知れませんが、暖かい応援の言葉と期待に応えられるような、雨の中でも白い花を咲かせて存在を示している山法師のような宿にしていきたいものです。

 もっとも課題としている宿の試食会も昨日で27回目を終え、さいわい好評をえました。時間を割いてお出で頂いた皆さんに感謝いたしますと同時に、貴重なアドバイスも大いに参考にさせていただきます。ありがとうございました。

23年5月23日

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2011年05月05日

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昨年の7月仕事を辞めて以来、宿の研修以外どこにも行かずほとんど家に籠もって料理の研鑽を積んできました。料理の道は厳しくて、まだまだ未熟の域を出ませんし、東北の震災も依然として悲惨な状況は続いていますので、迷いはありましたが、かねてより念願だった汽車の旅を、家内と4月25日から二泊三日で行ってきました。九州内を家族で旅行するときはほとんど自家用車を使っていたのですが、九州の観光列車は斬新な外観と、九州らしさを取り入れた内装やデザインが全国の鉄道ファンから注目されているらしく、いつかはとあたためていました。

 それと列車に乗りたいもう一つの理由は、恥ずかしいことにこの年になるまで、九州の内陸部を横断特急が走っていることを知りませんでした。アメリカの大陸横断は西部開拓を辿る旅でもありますし、貧しいバックパッカーはヨーロッパにもっとも安く行くためにシベリア鉄道を利用していました。五木寛之もシベリア鉄道を利用した主人公の作品を書いています。沢木耕太郎の「深夜特急」も旅の作品としては秀逸です。日本はアメリカの一つの州でしかないカリフォルニア州よりも小さいのです。私たちは、佐賀から北海道まで車で走ろうとは余り思いません。しかし、アメリカ人は西のロスから東のNYまで1週間掛けて車で走る事があるようです。体の中の地理感・距離感が日本人とはスケールが違うようです。空間に対する認識が違うことはものを考える概念把握の上で感覚の違いが出てくるのかも知れません。佐賀から北海道まで走ることはとんでもなく遠いことではないと思えるようになりたいものですが、関西までも車で走ったことが無いので、今以上に空間の認識を広げることはたやすいことではありません。

 巨大な阿蘇山が真ん中あたりにドーンと座っているために、九州を横断して山岳地を鉄道が走ることは不可能と思いこんでいたのです。単に地理の不勉強かも知れませんが、熊本から別府までの九州横断特急があることを知ってからは、いずれは乗りたいものだと小さな夢を膨らませていました。初日は新燃岳の噴火の影響を受けている霧島温泉まで、「SL人吉号」「いさぶろう」「隼人の風」と観光列車を乗り継ぎました。この慌ただしい現代において、ゆっくと走る蒸気機関車のSL人吉号は、ゆっくりにしか走れない、そこにこそ失ったものを取り戻すかのような安らぎがありました。時折車内に流れ込む蒸気機関車の石炭を焚く煙のにおいの懐かしかったこと。列車内のサービスを務める女性のアテンダントは、ただ単に笑顔を振りまく昔の花形と違いしっかり仕事をされながら、観光列車に乗務する仕事への誇りとお客への愛情溢れるサービスを感じました。旅を好きな行きずりの旅人達との交流が楽しく、最後尾のパノラマ席を離れられませんでした。球磨川を右に左に交わしながら、遠ざかるレールはこれまでの様々な思いも一緒に乗せて流れていくのです。

 翌日は九州新幹線で鹿児島から一気に熊本に戻り、いよいよ大陸横断鉄道です、いや、九州横断特急です。一応特急なのに、たったの2両のディゼル機関車です。少し頼りなさそうなので山を越せるのかと心配になりました。前日の「いさぶろう」でも初めて体験しましたが、急な山を列車が登るための方法があるのです。それは、ある標高まで進行すると、線路を一端は逆に走行して戻り、次に線路のポイント変換して前に上って行く、スイッチバック方式です。それを立野まで行って阿蘇の外輪山を登っていくのです。雄大な阿蘇はかなり遠くからでも横たわっている涅槃の姿で見られますが、走行している列車の右の方には確かな阿蘇山が、烏帽子・杵島岳・中岳・高岳・根子岳とそびえ立って続くのです。九州を横切って、阿蘇山を遠巻きに横断特急は走るのです。6月からはこの線路を復活した阿蘇ボーイが走るらしく、列車の旅の楽しさが期待できそうです。竹田を過ぎ、岡城趾を遠くに眺めながら、大分を通過したところで海が開け、別府湾の向こうに横たわる仏の里の国東半島は、すでに夕暮れにかすみ始めていました。文人が好みそうな小さな静かな宿でも、若いながら落ち着いた仲居さんのもてなしに和ませてもらって、ゆっくりと温泉に浸かり、おいしい料理を堪能しました。3日目はあいにくの雨となり湯布院の散策は次の機会に回し、九州の観光列車第1号の「湯布院の森」号で鳥栖に戻りました。

 外国に出かける方が多い中で、どうしても国内にこだわってきました。外国に気軽に行ける時代となり旅行といえば海外位に出ないとという風潮もあります。もちろん、見聞を広めるためには若い世代には是非とも海外に出て欲しいのですが、私は地元である九州の足下にも見所や魅力ある景観は多くあるよう気がします。川のせせらぎを聞きながら温泉に浸かる喜びは海外では味わえない旅の楽しさです。私が温泉を持ちたいと思ったのもそこにあるのです。あちこちを見て歩く旅も楽しいのですが、年を重ねるとじっくりと景色の中にも、温泉にも浸かって、自分の中にため込んだ疲れを解きほぐし、明日への活力と人生を見つめ直せるゆっくりした時間の中に至福を感じたいのです。佐賀に住んでいると九州は身近すぎて、若いときは余り興味を持てませんでした。しかしながら、今回の列車での小旅行は九州の味わい深い魅力を再発見出来るゆったりとした列車の旅となりました。

23年5月6日   
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posted by 風のテラス 古天神 at 21:59 | Comment(0) | 風のテラス便り