2014年03月05日

 志賀直哉の「城之崎にて」を若い頃読んでいて、ずっと頭の片隅に残っていました。小説の内容は忘れてしまっていたのですが、街の中を川が流れている温泉情緒の印象がなぜか残っていたのです。奈良県にも2年間住んでいましたので関西のことは詳しかったはずなのですが、その頃は城之崎に行こうという気になっていなかったのです。今回京都に行く機会を与えてもらったので、どうしたわけか城之崎温泉が気になってしまい別府港からフェリーに車を乗せて行くことにしました。出発の日が近づく頃にあいにくの大雪になってしまい、いったんは城之崎に予約していた宿をとてもたどり着けないとキャンセルし、京都だけに行くことにしていました。別府までの高速も止まっていましたし、またあの過酷な一般道の雪道を行かねばならないのかと、京都旅行だけでさえ危ぶまれて来ました。そのため、とりあえず、別府に行ければなんとかなるはずと予定を一日早めて宿を出ました。玖珠に出るまでも道路には雪が残っており、車は横滑りにスリップしながゆっくりと進むしかなく、運転に相当神経を使ってしまい疲れ切ってしまいました。なんとか、国道210号線に出て湯布院までは行けたのですがその先は案の定交通止めです。ノーマルの一般車のためには交通止めが必要なのですが、別府のフェリーに間に合わせるためには先に行くしかなく、塚原高原経由で行くと最初の入り口付近は雪が多かったのですが、途中から除雪が進んでおり乗船時間の3時間前には別府港に着くことが出来ました。

おかげで一日早めに関西に上陸できたので城之崎に行くことが出来ました。宿はキャンセルしていたので城之崎の駅前の旅館案内所で当日の宿を予約しました。九州の冬のこの時期は宿のお客様は少なくなるんのですが、城之崎はお客様が多いのです。宿の近くに車を預け、城之崎温泉を歩き出したのですが、お客様が多いのが分かりました。確かに小説にあったように川が街の中を流れており、川に沿って宿や土産物屋 雑貨屋 城之崎温泉の特徴でもある温泉情緒を漂わせた外湯等々が並んでおり、お客様が街の中をそぞろ歩きするには最適な温泉地となっているのです。昔の温泉地にあったような男の遊び場的なものは一切なく、やはりここも女性客や家族・グループ様に喜んでもらえるような、街全体でお客様を歓迎しているおもてなしの心が伝わってくる配慮が随所にしつらえられていました。平安時代から続く湯治場であり明治以降は志賀直哉だけでなく幾多の文人墨客が訪れた温泉地であることが納得できました。また、若い人が多数訪れているのです。どうも大学生がグループで卒業旅行に来ているようなのです。だから、旅館案内所でも何軒かの旅館に満室ですと断られ、やっと川沿いではない駅の近くの旅館しか予約が出来なかったのです。

 夕食にはこの時期の山陰 北陸の冬の名物ズワイガニを堪能しました。佐賀の人間にとって蟹は太良の竹崎の蟹が最もおいしいと自負していました。ところが、焼き蟹を少し炙って食べたところ蟹の身が甘いのです。鍋の湯にさっと通しただけの身も甘いのです。仲居さんが自信たっぷりに進めてくれた蟹の味は間違いなかったのです。女将との会話も止まってしまい、城之崎まで大変な雪道を神経をすり減らして走り、半日のフェリーに揺られ、ナビでさえ案内がよく分からず、助手席の女将の指示なしでは走れない、大阪南港からの入り組んだ都市高速にも神経を使い、やっとたどり着いた城之崎温泉での温泉情緒とズワイガニのおいしさには、まさに旅の疲れを忘れさせるものがありました。夜には久しぶりに下駄の音を楽しみながら外湯を二つ巡りましたが、あちこちの宿からのお客様があふれていました。多くの宿の玄関先を見て回りましたが、旅に出たお客様をお迎えするさりげない趣向を大事にしているところが感じられ、下駄の音が似合う温泉地はやはり大勢の方々の、城之崎を大切にしようという心のまとまりをみる思いがしました。ゆでた蟹も出されていたのですが、これも身がしっかりと付いてた蟹の味が濃厚に凝縮した一品でした。

 女将は京都を修学旅行以来あまり見ていないということで、寺巡りも目的の一つにしていました。私が東京の学生時代に「女一人」の歌の歌詞にあこがれ、ユースホステルを利用しながら傷心の心を癒やしに、大学の2年時に訪れていた大原三千院を約40年ぶりに訪ねました。市内から離れていて冬でもあるせいか、参拝客は少なくゆっくりと拝観できました。三千院の門の前に立って、学生時代にはすべてが未知であり不安と好奇心とをない交ぜにしながら大きな門を見上げていたのを思い出しました。40年前の未熟すぎる私と今の私はどう変化し、どう成長したのかあの頃の未知なる未来にやみくもに燃えていた一本の芯のようなものは今でも体のどこかに宿しながら、歩き続けているようです。寂光院にも回りながら、学生時代にも訪れているはずですが、三千院からどうやって行ったのか思い出せないのです。若い頃は2キロの道のりも歩けたのかもしれませんが、幸い車で来ていたので近くまで乗り付け拝観しましたが、数年前の放火で全焼していたことさえ知らなかったのです。それほどに、仕事や生活に忙しく京都にたいする興味も失っていた頃があったのです。市内に戻る途中に金閣寺に行くことにしました。拝観終了20分前に着いたので、大急ぎで見て回りました。塗り直された金箔が夕日に照らし出されて輝いていたのですが、なぜか金閣寺には最初見たときから感激を覚えないのです。三島由起夫や水上勉に描かれた金閣寺は作品の中で象徴的な美があるようですが、庭園の池の中にむき出しに建っている配置が想像力をそぐのか、若い頃から金閣寺には足が向かないのです。庭木に囲まれた銀閣寺を翌日訪ねたのですが、やはり哲学の道に連なるしっとりとたたずむ銀閣寺の方に趣を感じてしまうのです。

 八坂神社の近くの駐車場に車を預け、祇園に足を踏み入れたのです。京都には大学時代何度も訪れていたのですが、この祇園は一見さんお断りの敷居の高い店が多いと聞いていたので若い頃は近づきがたい街でした。確かに、今でも茶屋遊びをするようなところは行けないのですが、祇園の街は花見小路を中心として、近代化された都会にはない、ここでも昔の生活を再現したような情緒あふれる街並みが形作られているのです。女将は今回の旅行の目的の一つに宿に飾れるような小物の雑貨屋巡りも楽しみにしていました。南座から八坂神社に続く両側の道には土産物屋や雑貨屋の店が並び立ち、店ごとに立ち寄っては品定めを楽しんでいました。花見小路の店で昼に食べただし巻き卵に京都の味の奥ゆかさを知らされました。しかし、京都の冬は寒く準備はしていたのですが、底冷えの寒さに震えながら祇園の街の賑わいの中の観光客の一人として、十数年ぶりに訪れた京都の町に溶け込んでいきました。

 嵐山も三千院と同時に訪れた京都の最初の思い出の地であり、嵯峨野はいずれはゆっくり回りたいと私の中で暖め残していた地であったのですが、少ない滞在時間の中では次回に回すしかありませんでした。桂川沿いに建つ老舗の旅館は、若い仲居さんに京都ならではの落ち着いたゆっくりした応対をしていただきました。日本料理の数々も仲居さんの応対一つで味に膨らみが出ることを教えられました。この冬でも京都は観光客が多いのに、秋のシーズンには渡月橋は人が多すぎて渡れないほどと聞き、寒いこの時期だからこそゆったりと京都は見て回れるようです。嵐山からまず、錦市場に行きました。ここは奈良時代にも訪れているのですが、あのときはまだ教師にもなっていず、まさか宿をやるなど考えてもいなかったのですが、どうしたわけかあの頃から市場の活気が好きで訪れていたようです。あの頃よりも錦市場は観光客が多く訪れるようになり活気があるように感じました。人生の伏線はこれまで歩んだ中にあったのかもしれません。他では滅多に食べられないつきたての餅で昼にしました。宿の食材のために買いたいものも多くありましたが、京野菜と新鮮な魚介類を目の中の土産としました。  

 京都最後の宿は円山公園の中にある町屋にしていました。外国人を始め京都を丸ごと体験できる町屋ステイが人気があるとのことで利用しました。町屋に車と荷物を預けまた夜の祇園に繰り出しました。京都の地の人が遊び楽しむ本来の祇園らしさは夜の街にあるようです。夜の祇園では茶屋や高級料亭から務めを終えた舞妓さんにも出会えました。舞妓さんの姿を見ただけでも祇園が花街としてのたたずまいを感じることができ、旅の風情をかき立てられるものがありました。町屋で紹介された京料理の店で夕食を摂りました。昼の祇園の喧噪の中では気づかないような京都特有の、細い路地の奥にひっそりと気品高く、しかしながら洗練されたメニューと味付けに驚嘆させられました。食事が終わって帰る初めて訪れた私達に、広い通りに出るまで路地の奥でオーナと女将が二人そろって頭を下げられている姿には京都の歴史の自負をひしひしと感じることが出来ました。左に南座を見ながら先斗町まで足を伸ばしました。もし私がお酒を飲めたならこういう場所で大人の遊びも出来たのでしょうが、全く飲めない者にとっては店の奥の賑わいはあこがれの世界でしかありませんでした。ただ、奈良の学生時代にはこの先斗町や木屋町にあったジャズ喫茶に時々通っていました。学生の身分としては祇園で遊ぶことなど大人の世界であったのです。この年になって初めて古都 祇園のたたずまいの一端を垣間見ることが出来たようです。新しさと古さ融合させつつ、決して伝統に埋没しない京都の進取さには若い頃から感心を抱いていました。

 約1週間近く宿を空けて戻ると、まだ雪は道の両側にうずたかく残っているのです。この小国の地が雪深い山里の地であったことを思い知らされました。祇園の賑わいから静かな山里に戻ると城之崎から祇園までの旅が、これまで宿をやっていなかった頃の旅とは違った視線で見ていたことを気づきました。旅の思いでの先にはまだ見ぬお客様の姿を想像しつつ、おもてなしの心を養うことが出来た旅となりました。

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城之崎温泉

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大原三千院
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寂光院
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金閣寺
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渡月橋
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銀閣寺
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先斗町
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高瀬川
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南座
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討ち入り前の大石内蔵助が遊んだ一力茶屋

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祇園花見小路
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祇園
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細い路地の奥に京料理の店

26年3月5日

古天神 井崎
posted by 風のテラス 古天神 at 10:51 | Comment(0) | 風のテラス便り