2011年01月26日

竹スキー

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ここ十数年の暖冬に慣れた体には、この冬の寒さは体にこたえます。皆さまはこの寒い冬をどう過ごされているのでしょうか。日本海側の雪も異常なまでの降り方で、雪に慣れた北国でもさすがに今年の大雪にはご苦労されているようです。テレビで見る雪に覆われた街には高齢の方も、病弱な方も、センター試験を受ける受験生もおられるだろうに大丈夫だろうかと心配していました。
 
 九州の人間にとって雪は、虹や積乱雲を見るようにあこがれの自然現象の一つでした。雪が降ったからといって、少々交通が混乱するくらいで生活に大きな影響が出る心配はしていませんでした。むしろ、雪が降るとわくわくとして外で遊んでいたものでした。日頃見慣れている田畑や家並みの景色が一夜にして真っ白な雪景色と変わるのです。雪そのものは冷たいのですが、雪の景色は人の心を暖かくする不思議な力を備えていた気がします。雪がふんわりとすべての物を包んでしまい、現実の醜さをほんの暫く隠していたためかも知れません。

  昭和の30年代まではここ佐賀においても冬になると雪は降っており、山間部では30センチ以上の積雪もみられました。母の実家が富士町の北山であるために、小学生の頃の冬の里帰りは、亡くなった叔父の手づくりの竹スキーをするのが何よりの楽しみでした。孟宗竹を縦半分に割り囲炉裏の火であぶってL字形に曲げたものでした。両足を竹の上に載せただけのスキーだったため、雪の斜面を下まで真すっぐには滑らず、必ず途中で転んでしまい雪だらけになっていました。当時の冬は今以上に暖房器具もなく寒かったはずですが、寒い想い出よりも夢中で雪の中を遊んだ想い出しかありません。ゲレンデでスキーをしたいと後年思うようになったのは、小学校低学年の北山での竹スキーの体験が体の中に眠っていたためかも知れません。本格的にスキーをするようになって、あの竹スキーは丸い竹の筒でエッジが無かったのであんなに転びまくったのかと納得したのでした。

 以前の凍てつくような冬を知ってる者にとってここ数年の冬は、物足りない冬でした。寒い冬はこの年齢になりますと結構体に負担になります。しかしながら、四季の風情を昔々から代々、体の中に受け継いでいる私たちにとって、冬が寒くなく雪も降らないのは、陽光溢れる桜の季節を待つ喜びが半減しますだけでなく、このままでいいのかと足下からひんやりした不安に襲われます。

 振り返れば昨年の夏も尋常な暑さではありませんでした。この冬も本来の寒い冬に戻った訳ではなく、気象異常による寒さのようです。暖かい冬を知った者にとって、元の寒さには戻りたくないかも知れません。しかし、私たち人間の暮らしが、雨や光や水や風や植物・動物の力で循環させていた地球の大自然を歪ませているのであれば、元の季節の姿に戻していく意識を私たちが持たなくては、季節の狂いだけでは済まないことが私たちの子供や孫の世代に及ぶおそれがあります。夏の暑さもこの冬の寒さも、地球の大地が、私たちにもう一度暮らしを考え直すように気づいて欲しくてシグナルを送っているのかも知れません。

 センター試験も済んだし、古天神の打ち合わせに行きたいのですが忙しい用事が山積していて行けないでいます。また、昨年よりは総合点では伸ばしたようですが、次男にとっては苦手とする国語が思うように点を取れず、志望校を迷っていますので願書を出すまでは落ち着きません。
 
 設計の北里さんによると今年は小国町も相当寒いようです。雪も多く降り山の陰は、ノーマルタイヤでファームロードを走り古天神までは近づくのは危険なようです。残念ですが、雪が多く降るとお客様は宿まで来られなくなります。雪の宿ではせっかくの雪景色をお楽しみ頂きたいのに、私たちだけで雪景色を眺めなければならないのは、勿体なくもあり寂しくもあります。仕方ないので、竹スキーでも作って雪の斜面を転げながら滑り、「雪のテラス 古天神」で冬の月でも眺めます。

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 先ほど設計の北里さんから「雪のテラス 古天神」の写真が届きました。想像以上に雪が積もっており驚いています。雪に埋もれてしまっている宿も冬の楽しみとします。
                      23年1月28日   
posted by 風のテラス 古天神 at 15:56 | Comment(0) | 風のテラス便り
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