2011年01月02日

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最近では珍しく佐賀でも雪の年末年始となりました。皆さんの近くではいかがでしたでしょうか。温暖化の影響で雪も少なくなり、昔に比べたら暖かな冬が続いていました。23年は久しぶりに冬らしい寒くて凛とした正月を迎える事が出来ました。
  新年あけましておめでとうございます。

 今では数少なくなった餅屋さんに年末、正月の鏡餅やお供え餅の予約をしていました。以前は、暮れの28日に臼を据えて、親戚や知人等を招いて餅つきをしていたものでした。つきたての餅のうまさは格別で、また餅米を蒸した後の釜でゆでたうどんに、母手づくりのきんぴらゴボウを乗せて、寒い外の庭で湯気を立てながら食べるのも暮れの風物でした。餅屋さんから予約の餅をいただき正月の準備が始まります。なじみの餅屋さんは、こっそりと餅に入れる餡を少しだけ分けてくれるのですが、その餡のおいしいこと。甘い物を食べると家内が叱るので、これも隠れてこっそりと味わうのも楽しみです。

 29日に墓参り、30日に年神様や鏡餅・三方に米を盛りミカンと干し柿、ダイダイ・炭・生姜を乗せます。お屠蘇を仕込み、昆布とスルメに盛り塩も用意します。所により飾り方も異なるようですが、皆さんの所の床の間はどんな正月飾りが飾られているのでしょう。正月飾りを引き継いだ数年間はなかなか飾り方を覚えられず、昔の人たちはよくしっかり覚えていて引き継いでこられたなと感心をしていたものでしたが、これが伝統を守って引き渡していく事かと。しかしながら、昭和を知っている私の世代でさえ覚束なくなっているので、子供の世代にどうなっているか、日本の正月がどこまで年間行事として残っていくのかを考えると寂しいものがあります。私たちの戦後世代が、日本の伝統行事を旧習として懐疑的となり西洋的な生活に新しさを追い求めたのが、現状の日本の正月ですので責任の一端は嘆いている私たちにもあります。

 温暖化で四季の変化が乏しくなった上に、季節を取り入れた年間行事が廃れていくことは、若い世代には時代の進歩として希望が先にあるととらえているのでしょうか。残念ながら若い世代と話をしていても、明るい将来が待ち受けている等とは思えないと、哀しい目をして語ってくれました。若い世代が希望や未来や夢を描き語れない世の中は、決して豊でも充実した時代でもありません。時代の最先端のハイテク機器をあつかいながら、溢れた物や食べ物に囲まれながら人々は何かを渇望しているのです。人々は以前よりも強く渇望しているのです、物や便利さに満たされれば満たされるほどに心の空虚さを大きくして、人とのつながりが瞬時になればなるほどに、以前は面倒と遠ざけていた人との心の交流を願っているのです。だから、もっとも今の人々が渇望しているのは、物の足りない時代にあった、互いに励まし支え合って生きていた時代の同時代性ではないでしょうか。ものが足りて自立化・個別化が始まり、合理的な生き方は可能になりましたが、先に待っていたのは無縁社会という空恐ろしい孤独死の現実でした。
 
 四季の季節の移ろいの変化が判然としなくなり、晴れの日とヶの日の境もなくなりつつあります。正月は単なる暦の上の1日で他の日と変わらないのは、農業が大事にされなくなったこの国の現状ではいずれ廃れていく運命にあるのかも知れません。しかしながら新たな年の始まりとして、親類縁者が集い先祖のつながりを確認する日として、またはあらゆる万物に神が宿るとして畏敬と感謝の念を表す正月行事と考えれば、いつまでも時代を超えてつながっていって欲しいものです。

ほんの先ほど、大学時代の30年来の愛知在住の友人 日野君から古天神を楽しみにしているという電話とメールをもらいました。いよいよこの8月末のオープンの年となり、身が引き締まる思いと大きな不安を抱えていましたが、古天神に行くことを今年最大の楽しみにするというメールの言葉を目にして、気持ちを新たにしました。宿を楽しみにしてくれる支援の言葉ほど励ましになる、心強くなることはありません。感謝の気持ちで一杯です。友人を初め、皆さまを満足させる宿を目指して歩みを確かなものにしたいと思います

 正月の慌ただしさが一段落した今日の2日 やっと現れたのです。庭の木々の葉が落ち、冬枯れの枝に刺した蜜柑を食べに目白が2羽来ていたのです。朝 蜜柑を半分に切り、枝に刺しに庭に入った頃から、それらしい鳴き声が飛び交うのを聞いていたのでした。半分に切った蜜柑を北の寝室の窓から見えるもみじの枝と、南西の角にある書斎の窓から見えるカリンの枝に刺していました。目白を見るためには2 3日かかるかと思いきや、なんとさっき聞いた鳴き声はやはり目白だったのです。モスグリーンの美しい羽根は庭の中では際だちますし、愛嬌のある目元に鳴き声は暫し目を釘付けにさせられました。昨年の目白かどうかは分かりませんが、目ざとく蜜柑を見つけ飛び回る様子は同じ目白の夫婦と信じたいものです。もちろん、蜜柑を見つけたのは目白だけではありません、ひよどりを初め、鳩もやってきますがしばらくの間は、冬枯れで寂しくなった庭を野鳥の観察で楽しめそうです。

 12月23日、古天神でも打ち合わせをしている窓の外に、名前は分かりませんが紫の羽を胸の辺りに持つ美しい野鳥を見つけ、お客様の楽しみになればと、野鳥の訪問を歓迎したものでした。
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                     23年 1月 2日

 



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2010年12月18日

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前回の佐賀の紅葉したもみじの横にレモンの写真があったのをお気づきでしょうか。そんなに黄色く色づいていないので葉の中に隠れて写真では見つけにくくなっていますが、このレモンは大いに活用させてもらっているのです。料理のドレッシング作りにはなくてはならないものだし、冬の風邪の予防のホットレモンとしても重宝しています。

 レモンは今でこそ物産所等で国内産が多く売られていますが、以前はサンキストのアメリカ産しか手に入らなかったものです、販売されている所も限られていましたので珍重品の一つだったかも知れません。レモンのが今のように多く出回らなかった時代のレモンは、多くの柑橘系の中でも何故か特異な存在だったような気がしますがいかがでしょうか。温州ミカンのように茶の間で食べるという果物ではないし、日本料理に使う習慣はないし、日本の生活になかなかとけ込めなかった食材のような気がします。

 これからも、レモンは柑橘系の中では確かな位置を占めるのかどうかは分かりませんが、たくさん生産されていくのは間違いないでしょう。何故ならば、レモンに限らず農産物の国際化が進み、これまでの従来の農産物に飽き足らなくなった消費者や個性的な生産者との需給の一致が背景にあるようです。都会のレストランで先駆的なシェフや板前さん達の目や舌が求めたのであり、それを食するお客様方の味覚が支援させたもののようです。トマトにしてもなすびにしても今までのその形・色の持つ概念を覆すような農産物が続々と出荷され購入されているのです。その善し悪しは別として、食の多様化は豊かな生活を求める人々の帰結であり食の文化の向上のためには通らなければならない道でもあります。

 奇抜な料理法や突飛な食材を使うつもりはありませんが、洒落たセンスのあふれた食材や料理は取り入れるようにしたいと思っております。食の多様化の中で日本の伝統食や郷土食も見直され、注目も集めています。西洋料理全盛のころは日本料理が衰退していき、ファーストフードが流行りだしたら家庭料理が衰退していき、日本食が海外で健康志向ブームとともに注目され初めて、やっとまた日本の料理の素晴らしさに多くの日本人が気づきだしています。その食の多様化の中で伝統食も郷土食も、見直され正月のおせちの良さが見直されるのも間近いはずです。正月には日本の文化が集約されているし、正月料理を囲んで家族が再会し絆を深める、正月ぐらいは慌ただしさから解き放たれてゆったりした時間を楽しみたいものです。

 レモンの事が頭の片隅から離れないのは、大学に進んだおり文学に傾倒していたサークルの1年先輩の狩野さんから、「檸檬」という題名の小説を知っているかと問われ、作品どころかレモンの実物さえ見たこともない田舎出の大学生にとっては衝撃的なことでした。梶井基次郎の作品「檸檬」を読んだことは言うまでもなく、丸善の本棚の上に置いて店から出ていく作品の内容の衝撃性はいつまでも頭の中に残っていました。3年前、私は鳥栖商に転勤して教師最後の3年担任だったおり、はじめて顔を出すクラスの生徒の前の教卓の上に、何も説明をせずにレモンを置きました。レモンから受ける様々な感想を求めたのでしたが、生徒達はどう考えたらいいのか戸惑っていました。私と最初に出会う生徒に、私にとっては最後の担任となる生徒達に、レモンの形状の多様性と特異性を示し、受けてきたこれまでの概念の混乱と新たな発想を期待したのです。

 ちなみに家のレモンは、私が最初に赴任した31年前の高校の最初の3年担任の卒業の記念に生徒や職員に学校から贈られたものです。卒業生はもらったことさえ忘れていましたが、私のは幸いに母が植えてくれていた為に生存しています。私も最初の数年間は忙しくてレモンの存在さえ忘れていました。料理をはじめてからはレモンはなくてはならない存在であり、特異な形状は、事変わったものに惹かれやすい私の生き方をも導いてくれているのかも知れません。

 散り残る名残のもみじの横で、青かったレモン達が、黄色の色を次第に濃くしています。庭の彩りと確かな季節の移行を、特異な形状と色合いでレモンは放ち始めました。
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2010年12月07日

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 12月となり冬らしい気候となりました。ずっと暖かい日が続いていたせいか、庭のもみじの色づきが遅く、また冷気が足らないせいか、一部はすでに枯れ葉になったりと、まだら模様の紅葉となりました。やはり紅葉が美しいのは古天神のような標高の高い寒い地が見事のようです。佐賀でも寒い冬は、結構美しい紅葉が見られるのですが、今年の庭のもみじは期待はずれでした。庭のもみじは、古天神に移植するために数年前から、種から育てていたものです。しかしながら、あまりに大きくたくさん育ってしまい、扱いに困ってしまいました。もみじの周りには桜が植えられており、春と秋にはそれぞれ花や紅葉を楽しめるのですが、落葉樹の枯れ葉の多さには、少々うんざりしています。枯れ葉の戻る場所の「土」をなくしてしまっておきながら、コンクリートの上を舞う枯れ葉を厄介者にするのは、身勝手すぎるのかも知れません。

 佐賀では2年前の秋から北九州の渡辺さん夫妻を第1回として宿の料理のための試食会を始めていました。途中息子達の大学受験のために休止が1年間ほどありましたが、試食会は23回目となりました。まだまだ、やらねばならないことも多く料理の道は厳しいのですが、皆さまから受けた色んなアドバイス・ご教示は本当に助かっております。今後の料理に生かしていきたいと思っております、ありがとうございました。忙しい中、まだ至らない私の料理を食べに来ていただいた事を感謝しております。諸般の事情で、試食会は暫し休みとして、次男のセンター試験終了後に再開したいと思っております。

 試食会は休みとしますが、料理の研究はもちろん続けていくつもりです。2年前はイタリアンを中心とした料理にするつもりでしたが、皆さまの料理に対する意見の大半は和食を食べたいと言うことでした。しかしながら、和食の道は奥が深すぎるし、繊細な味を簡単に出せるものではありません。そのために、私なりに工夫をして食の素材を生かし、かつ洒落た味の食事が出せないか頭を悩ませています。皆さまの良きアドバイスをいただきたいと思っております。この試食会が休みの間は正月のおせちを研究したり、来年の試食会に備えて料理のメニューの検討と料理の実践を重ねていきたいと思っております。22 12 8(水)

 
                            
 
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2010年12月06日

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 12月に入り、佐賀では気温が下がり、やっと紅葉の本番が始まって街中が色づいています。だから、まだ秋の終わりのような様相で少し寒くなった感じですが、ここ古天神ではもうすでにとっくに紅葉は終わり11月に真っ赤に色づいていたもみじ達はすべての葉を散らして、枝だけの寒々とした冬の木立の様相を見せていました。古天神は冬そのものでした。

 標高が高いため冬の寒さは相当厳しいようです。果たしてマイナス6度にも7度にも下がる気温の中で、宿の仕事が務まるのか不安もあります。暑さにも寒さにも弱い私がここで過ごしていくためには、ここの気温に体を順応させなくてはならないのですが、お客様のために体を動かし続けていくうちに、気づいたときには慣れていたと思えるようにならないかと、淡い期待を抱いております。もっと過酷な、標高千メートルの地でも、人との温かい触れ合いを励みに生活を楽しんでおられる「桃花庵」さんを目標に頑張りたいと思います。

 ただ、冬は他の季節にはない楽しみもあります。静まりかえって何もない窓の外の風景を見ているだけで心の奥のざわつきが収まってくる気がします。見なくてもいい光景を見たり、聞かなくてもいい雑音に囲まれながら生活をしていると、いつの間にか時の流れに流されていたり、心の奥に置かなくてはならない確かなものを失っていくような気がします。

 宿の周りには生活のにおいはほとんどありません。しばし現実の生活から離れて、冷たい空気に体をさらし、疲れた心を蘇生させてゆっくりとくつろいでいただける宿にしたいと思っております。

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2010年11月11日

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 1ヶ月ぶりに打ち合わせのために、古天神に行って来ました。佐賀も冷え込んでいたので紅葉を楽しみしていました。

 道すがらの山も辺り一面色づいており秋の終わりを感じさせていました。現地に着き、ファームロードから坂を下ると目の前に真っ赤に色づいたもみじが1本飛び込んで来ました。その周りも朱や黄色の濃淡を重ね合わせたもみじの群落。対岸にも、もみじの群落の親木であろう大きな1本のもみじが、紅葉の終わりの姿を見せるように葉を散らしながら偉容を見せていました。

 このもみじの群落があったためにこの地を気に入り8年前に購入したのでした。しかしながら、このような紅葉に染まった季節には来合わせていなかったので、色づいた古天神の魅力を再認識しました。

 紅葉がもっとも色づいて美しくなるのは、気温が冷え込まないと色鮮やかに染まらないようです。ここ数日は0度近くまで冷え込んだために紅葉が一気に進んだようです。まだ、足場があったり宿の外壁も工事途中ですので、紅葉の本当の美しさを堪能できるのは来年の11月になりますが、紅葉の真っ盛りの1週間をお客様に楽しんでもらうことを想像しながら古天神を後にしました。 22 11 11(木)

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2010年10月20日

古天神
 10月14日(木)に本館の棟上式を行いました。
宿泊棟は3棟の外観が出来上がり、内部の間取りや内装の工事を行っています。
設計事務所の北里さんとあれこれ話し合いをしながら、お客様の視点に立って
アイデアを出すようにしています。

 5月の完成を目指して、大工さん達も頑張っていますのでご期待ください。
オープンは8月下旬の予定
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2010年10月02日

古天神
この夏は小国町でも暑かったようです。
ここ古天神の標高は700メートルあるために夏でも木陰に入れば爽やかな高原の風が吹いていました。
佐賀ではエアコンなしでは寝れないような夜でも暑さ知らずの別天地でした。
秋となり朝晩はもう寒いくらいの気温になりましたが、至る所に虫が鳴き、コナラ・クヌギ・もみじ等の広葉樹の紅葉もすでに少しずつ始まっています。
全山真っ赤に燃える紅葉もすぐそこまで来ています。
この古天神と出会って以来、空気の爽やかさと空気に味があることを発見しました。
佐賀の街と違って、樹木が多いため空気の密度の濃さを肌で感じます。



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