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広大な敷地の中を小川が流れ、テラスの向こうには四季を彩る広葉樹の葉。そして温かいおもてなしと味わい深い料理 本当のくつろぎがこの宿にはあります。

2012年03月27日

            
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2012年03月20日

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B級グルメとスイーツの催しがグランメッセ熊本で開催されていました。味は残念ながらB級にも届いていなかったのですが、近くの西原村まで足をのばしました。小国に住むようになって、あちこちと出かけています。西原村は熊本市に近いのですが、約70キロも離れたこの小国と同じ阿蘇郡の、まだ村なのです。最近になり、村という響きに郷愁を感じ出かけています。村とはいえ、村に誇りを持って生活している事が村内を歩いただけで伝わってきます。衰退著しい村が多い中で、西原村は観光客をたくさん呼び込むような、村を訪れたくなるような仕掛けを、村あげて取り組んでいるようです。

 俵山の近くの物産所「萌の里」を中心に様々なイベントや陶芸・雑貨店・料理屋・音楽関係等の芸術家村が形成されています。特に、世間と断絶したような風変わりな、しかしながら音に対する追究は際だっているオーナのオーディオ道場は異空間そのものです。人を引きつける魅力を発信している、西原村のあり方は、この小国でもおおいに参考になりました。

 今日はその焼き物窯の一つ、三六窯でコーヒーカップを買い、その帰りに外輪山を上ったところで、道沿いに車がたくさん止まっているのを見かけ、おりて近づくと煙が立ちこめていました。ほうきのような道具を持った人たちは野焼きの広がりを防ぐ地域の人たちだったのです。阿蘇の冬枯れの原野は、火を付けられ瞬く間に燃え広がり枯れ草を焼き尽くしていたのです。阿蘇では野焼きは冬に終わりを告げる儀式であり、春の息吹を呼び込む炎の祭典だったのです。

 宿に戻るとウグイスが鳴いていました。宿はまだまだ冬枯れの景色の中ですが、気温10度の肌寒い中やっとボイラーを炊かずに源泉の温度のままの露天に入りました。湯から出たらまだ寒いのですが、服を着るとぽかぽかと温かくなるのが、温泉なのです。小川の向こうは枯れ草のままですが、新緑の春は着実に近づいてきています。

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     古天神 井崎
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2012年03月06日

 2月の末頃小国の街に買い物に出た折り、道の駅ユーステーションの近くの広場でテントを畳む青年を見かけました。声をかけていいものか迷いながらも、気になってしまい話しかけました。なんと、大阪から自転車でテントを張って野宿しながら旅をしている大学生だったのです。大阪から日本海に向かい南下してきて鹿児島まで走るそうでした。兵庫を走っているときに雪に遭い、さすがに夜も寒くて寝られなかったそうです。家の中で寝ていてもまだ寒いこの時期に自転車で旅を思いつく青年に若さと夢に向かう壮大さに感激しました。青年は未来に向かって自転車をこぎ続けていたのでした。こぎ続ける大地は青年にとっては未来にと続くのですが、果たしてこの先の未来が安泰なのかどうかは3・11を契機に誰もが考え込んだのではないでしょうか。不安を覚えずにこの1年を過ごした人はおられないはずです。

 日本という国土があれほどまでにもろく不安定だったとは専門の学者以外、誰も認識していなかったはずです。地球の地殻変動は太古の昔から連綿と続いておりこれからも続くことを証明したに過ぎないのです。その不安定な地殻の上で生活をしてきたのであり、たぶん暫くは大丈夫だろうという淡い期待の上で街を家庭を家族を築いて来たのではないでしょうか。まさに砂上の上で生活を築かざるを得ないのが、日本のどこに住んでいても受け入れざるを得ない現状のようです。確固とした足場を築けないこの日本の国土で、私たちは何を拠り所としてこの先を歩んでいけばいいのでしょうか。どこかに逃げ出すわけにはいかない私たちは、これからも不安定な土台を土台として生きていくしかないようです。地殻の変動を止められないのであれば、私たちは変動による災害を最小限にとどめる備えだけはしていかなければならないはずですが、いつ来るかも知れない災害に絶えず備えるだけの緊張感を維持し続けることは出来ないのも現実なのです。

 この不安に応えるのが政治の力であり、政治家の務めのはずです。まずは、政治は東北の復興を最優先に取り組んで欲しいのです。東北に明かりが見えてこないことには日本全体が元気にはなれないはずです。「一つ」になって力を合わせようとしているのは国民なのです。家族や街や社会が地震と津波と原発でバラバラに引き裂かれたから、「絆」の本当の意味を分かったのです。絆を大事にしているのは国民なのです。「絆」を軽々しく政治の道具に使って欲しくないのです。この災害で分かってきたのは、一つになって力を合わせたのは、自衛隊や消防や警察の決死の覚悟の貢献であり、その後に続く多くのボランティアの皆さんの働きであり、芸能人の活動や料理人の炊き出し、多額の寄付をした企業であったり、海外の住民やアーテストをはじめ、ほとんどの国民が募金したり支援物資を送ったことなのです。

 この間国民より先に身を挺して働かねばならない政治家は何をしていたのですか。大政翼賛会の亡霊に怯えて、もしくはそれを口実に一つになるどころか、互いに協力も出来ないような器の小さい政治家を私たち国民は育ててきたのではないでしょうか。天下国家のことしか考えていないとうそぶいている政治家がいましたが、この大震災から一刻も早く復興させることが当面の天下国家のはずであり、身を犠牲にして働いる姿を見ていたら少しは説得力はあるのでしょうが、政局のことしか考えず1年生議員と酒を飲み交わしている政治家に、天下国家を語る資格もないはずです。国民は一人一人家族や社会や国のために働いているのです。だから政治家は国民のために働いて欲しいのです。政局のためにだけエネルギーを使って欲しくないのです。

 日本の国債の格付けが下がれば ギリシャのように国が破綻するとマスコミは国民に脅しをかけます。格付けが下がれば真っ先に痛手を受けるのはいまだ復興していない東北なのです。地震や津波や原発で被害を被っているのに、経済が破綻すればどうなるか位、誰にも分かることなのです。破綻を防ぐ方策は国民個人の力でははどうしようもないのです。それを出来るのは政治家なのです。国民は先の不安のために出費を抑えて地味な生活を甘んじているのです。享楽に溺れている国民なら破綻も致し方ありませんが、そうでない国民のために、政治家は本当の天下国家に目覚めて欲しいものです。政治家に対する信頼が薄れ続けていると言い続けてきましたが、国民は現在の政党に見切りをつけてきたのかも知れません。大阪での一首長の動きは大阪にとどまらず、国全体に影響を及ぼしかねない勢いで広まりつつあります。訴えていることには、現在の政治に欠けている一理あることも多いので急速に支持されていくでしょうが、本当の国民のためにはどうなのかと、警戒もしていかねばならない危うさを持った人物でもあります。

 この1年間私は苦悶の中にいました。頭の中で自問自答しながら生活をしていた気がします。もちろん、宿を始めたばかりで宿のお客様をどうもてなすかに明け暮れていたのも事実であります。忙しかった秋が過ぎ凍てつくような冬も何とか乗り切り、3月11日が近づくにつれて何もしていない自分に情けなさを感じつつ日々を送っていました。いても立ってもいられず、東北に向かうつもりでしたが、家庭の事情で遠くまで実家を空けられない事態となり、何度も炊き出しに出た料理人やボランティアの活動を応援するしかない自分に恥じ入っていました。今NHKは震災特集を放映しています。あの津波の映像を改めて見ると、あまりの巨大さに映像を見ただけでも恐怖を覚えます。あそこに居た人々の為す術がなかったことが実感されました。3・11以降は人生観が変わったり、ものが書けなくなったと辺見庸をはじめ多くの人々がが発言したり書いたりしています。私が人生観を変わることと、被災地で犠牲者になった家族を持つ悲しみは全く次元が違うため、一緒にしないでくれ、言葉に出来ない、言葉を失うというのが本当でしょうが、あえて書くことで被災者の哀しみに寄り添うことを許していただきたいのです。

 5日現在の震災死者1万5854人 不明者3274人 死者の数の後ろにはその家族の哀しみがあります。不明者が未だ3千人を越えているのです。悲しみにも浸れない、やりきれなさと茫然自失で時間が止まったままの被災者も多いのです。親を亡くした、兄妹を亡くした子供達、子供を亡くした父親、母親。あの日を境に絶望の波に飲み込まれてしまったのです。悲しみを共有出来るなどと、不遜な思い上がりは持ちませんが、悲しみに寄り添う姿勢だけは持ち続けていくつもりです。不明者の家族の方は、顔も見られずに死を受け入れなければならない過酷な現実には途方に暮れておられるはずです。家族を失った悲しみは時間がたって和らぐことはあっても消えることはありませんし、絶望感のトラウマは心の奥底にとどまり続けます。私が大学生の時に高校に入学したばかりの弟を病気で亡くして、40年たっても未だに悲しみのトラウマを抱き続けているのです。そのために、息子を亡くした親の悲しみも、自分が親となってその当時の両親の嘆き悲しみを思うといたたまれません。ただ、弟は少しの時間看病する期間があったのですが、津波は一瞬にして命をさらっていったのです。絶望の深さと無念さは想像を絶するものがあったはずです。

 私は被災地に行けなかったのですが、別府の大学にいる長男は12月にボランティアで現地に行きがれき等の後片づけの手伝いをしてきたようです。とても大変な仕事で疲れたと言って帰ってきましたが、少しでも被災者のために働けたことに充実感を感じていたようでした。被災者は労働の手助け以外に精神面の話相手や、生活支援等の様々な活動のボランティアはまだ不足していると話し、九州からは遠いので支援に行く人が少ないと残念がっていました。太宰府にいる妹は地域で3月11日に東北支援バザーを企画しているようです。東北の物品等は購入する予定でおりますが、何らかの形で被災地に対する支援の手をさしのべることも考えております。

 揺らぐ大地に身を置いて生活をしていかねばならない私たちは、やはり人との絆の強さを支えにしか歩いていけない気がします。生きていく大地の土台が不安定であり、国を導く政治が不安定であり、経済も不安定な中で、確固とした足場の確保を他人任せにしては平穏な未来は期待できないようです。国民が進むべき理念も提示出来ないような政治ではありますが、国全体で百年後の明日を考える契機の3・11にしていかないと犠牲になった方々や被災者に報いる事は出来ないと思います。確かな未来が続くと、大地を信じて自転車を漕いでいた日本の未来を背負う青年の夢を壊さないためにも・・

           
        2012年3月6日
        風のテラス 古天神
               井崎  



 

 

 


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2012年02月09日

 先日佐賀に帰った折り、本当に久しぶりにですが映画館に足を運びました。見たい映画は数多くありますがそのほとんどは何かの都合で見過ごしていました。映画は映画館で見るのにこだわっています。ビデオで見ても何か物足りないのです。画面も違うし音響も違うのですが、それよりも劇場の持つ一種独特の雰囲気が映画館にはあるようです。家のテレビで見ると、家庭の現実感に負けてしまい、映画の世界に浸れきれないような気がするのです。映画全盛期の終わり頃を知っている者にとっては、昭和30年代の娯楽のない時代にあっては映画を見に行くことは、一大事であったのです。農家であり、鶏を数百羽飼っていたため、家族で家を空けることはほとんど無く、壱岐の島と佐世保等に行った数回の家族旅行は未だに鮮明に残っています。数が少なかったのでそれだけ印象に残らざるを得ないのです。家族での旅行は本当に少なかったのですが、幸い農業一筋の父親が映画好きだったので、たまに連れられて行くことがありました。 
 
 テレビのない時代に映画を見ることは子供にとっては最大の喜びであり、胸を躍らせて佐賀の街に出かけることであり、滅多にない外食をすることでもあるのでした。今では考えられないことですが、満員の映画館で立ち見をして人々の肩越しにスクリーンを見ることもしばしばだったのです。その雰囲気が映画館だったので、上映されて暫くしてビデオ化されたものを見るのに抵抗があったのです。あのころは映画を見ることで同じ体験の一体感を共有していたために映画に対して特別な思い入れがあったようです。国としての同時代性が残っていたのを懐かしがっているだけかもしれませんが、孤独死や無縁仏の数は年々多くなっていますし、孤族という言葉は最近になって使われだした言葉です。家庭での幼児虐待などの寒々とした事件は後を絶ちません。個々の生活が家庭なしでも営めるようにしてしまった社会の風潮を見直し、家庭のあり方を、家族の良さをもう一度認識し直すところから本当の絆は生まれてくるのではないでしょうか。

 実は映画を見に行くきっかけとなったのは、テレビで放映された「オールウエイズ 三丁目の夕日」を見たからなのです。最新版は「64」です。そんなに豪華な映画とは思いませんし派手な活劇や心理描写があるわけでもありません。むしろ地味な日常の生活が描かれています。昭和を知らない若い人には何の感興もわかないかも知れません。しかしながら、私には懐かしさを通り越して現代を考えさせる内容のある映画だったのです。映画の中では今と違って地域が生きていましたし、隣近所が支え合っていたのです。そして人々は個人の発展と社会の発展が国を良くすると信じて働き続けているのが描かれています。地域があり、隣人が居て家族があるのです。人のために自己を犠牲にして生きることに価値の重きを置いていた時代だったのです。個人主義と利己主義の本来の意味を私たちはどこで取り違えてしまったのでしょうか。戦前の全体主義の戒めとして登場した個人主義は、最善の社会を造る前提であったはずですが、個人主義の底にあった他人に対する配慮や優しさを見失っていたのかも知れません。人間が人間らしく生きられなかった時代には人間の解放と自由をもたらすために個人主義が生まれたのであり、それはあくまでも対政治的なのです。政治が民主的になった時代において個人主義を振りかざしても、それは利己主義が外見を変えて主張しているのにしか過ぎないのです。

 個人主義だからとか、価値観が違うからとか異なる意見を交わすときによく使われて、さも新しい考えを身につけているがごとくに会話を遮断されていました。異なる価値観だからと自己の狭い価値観の中に、個の殻に閉じこもった結果が現在の孤族の社会を招いたのではないでしょうか。もっと生きている土台の深いところを掘り下げるところに価値観を見いだすようにしたら、個人主義の先にある大切のものを共有出来ていたのかも知れません。昔が良かったという懐古趣味には陥りたくはありません。昔の良いところの裏には見落とされがちですがどうにもならない不幸さも隠されているのです。そう思うと、今の時代の不幸も抱えつつ、絶えざる希望の積み重ねでしか時代を乗り切る術は無さそうです。自己だけが満足する結果を拙速に期待するのではなく、時間をかけて多くの他人が納得できる時代を造っていくのは、社会を主体的に構成している個々の私たちからでしかないのです。

 世の中から少し離れたところで生活をしていると、生活に現実感がなくなって困ります。雪道には獣の足跡、居住棟の玄関のドアーは凍り付いて開けることも出来ません。零下4度の朝の外気の中を歩いていることが、そもそも異空間なのです。街の賑わいの中の活気とはほど遠い宿での生活ですが、何故か外気ほどには寒くはないのです。世俗から離れた山里での、このまま冬の生活も悪くはないので、もう暫くは張りつめた凍てつくような寒さの中で籠もっていたい気もします。


     24年2月9日(木)

     古天神 オーナー 井崎
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2012年01月10日

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 寒くはございませんでしたか とねぎらいの言葉をお掛けしたところ 冬は寒くて当たり前 夏は暑くて当たり前 先日お泊まりになられたお客様の言葉。この寒さや 何もない殺風景な冬枯れの景色にこそ奥深い魅力を感じると言って下さるお客様に救われています。この地ではこの言葉が生きています。冬は特に1.2月の頃は厳寒の気温となります。昼間でも最高気温が5度くらいまでしか上がらない日もありますし、最低気温は零下10度位まで下がる日もあるようです。

 寒さに弱い私が果たしての地でやっていけるのかと心配していましたが、寒さには慣れるようです。室内は暖房があるし、室外も防寒の服さえ着れば、また体を動かせば寒さをさほどには感じません。佐賀の地では昭和30年代の本当の冬の寒さを知っている者にとって、今の佐賀の冬の方がどこかがおかしいと感じていたのでした。この地では冬が冬らしい季節となるのです。もちろん、この小国も30年代はもっと厳しい冬だったはずですが、佐賀から出かけた人間にとっては小国の冬は 冬そのものでした。
 
 また佐賀の地での冬を味気なくしていたものの一つは、雪景色が滅多に見られないことです。朝起きて一面真っ白な雪景色には寒さを忘れて見とれていました。あのころは家の周りはほとんどが貧相な建物と田圃しかなかったのですが、暫しの間生活感を隠してくれて、幻想の世界に浸れたものです。軒先に降り積もった新雪を母親が茶碗にすくって、砂糖をかけて食べさせてくれたものです。あのころまでの田舎の雪は大気汚染もなく食べられたのです。真似をして東京の大学時代にやってみたらとたんに腹をこわしました。田舎の雪は本当の純白だったのです。宿にも待望の雪が降りました。お客様をお迎えする前だったのでどうなるかと心配しましたが、ご宿泊の頃までには大方消えてしまいました。雪の露天は堪能して頂きたかったのですが、雪道の心配もしていたのでした。国道等は除雪もするようですので大丈夫ですが、お越しの節は雪道用のスタットレス等の装備をお願い致します。

 宿での初めての正月を迎えました。注連縄を飾り、佐賀でいつも搗いてもらっているホームラン堂さんの餅を昆布と裏白の上に鏡餅 盛り米の上にダイダイと葉付き小ミカンに干し柿を飾りました。なんとか正月らしさを整えて、大学から帰省した二人の息子とお屠蘇で新年を取りました。宿での正月をどのように迎えるのか、どのように過ごすのかとまどいながらも煮すぎた雑煮に文句を言われながらも、初めての宿での正月を過ごしました。

 大晦日には例年は年越しそばを作るのですが、子供達のリクエストで年越しパスタにしました。大晦日にパスタを食べるのは佐賀に居たら多分しなかったと思います。お客様にも事変わった料理をお出ししているのでいいのではと言う、女将の言葉に後押しされて地元の時松さんちから仕入れているほうれん草と阿蘇神社近くのクララハム工房のベーコンを使った、トマト味ベースのほうれん草のパスタで年越しをしました。長年行っている慣例が伝統になるのですが、それを破ることには抵抗もありました。いつもと同じ事を続ける営みが文化の基層を作っていくのですから、それを中断することに対する後ろめたさの意識も心のどこかにもありました。しかしながら、農業を代々やっていた家の長男が佐賀の地を離れて、小国で宿をやることがそもそも今までの習わしから外れているのですから、年越しのパスタが在ってもいいのではと自分に言い聞かせて、大晦日の夜に厨房の片隅を4人で囲ってフォークを使いました。

 常識めいたことに縛られるのはなるだけ避けようとしている自分の中にも、その一方では文化を形成する習わしを大事にし、伝統を尊重しようという姿勢も持ち合わせている事に年越しパスタで気づかされました。周りも自分も大晦日は年越しそばが当たり前だったのです。それを息子は難なく、何の執着なく飛び越えるのです。それが習わしに束縛されていない若い世代であり、また新たな文化を創っていく試行錯誤の原動力でもあるのです。習わしに従うのが安易でもあるし、それを守り続けていく事にも労力を要します。生活が惰性に流される無自覚な習わしだけには懐疑的にならざるを得ませんが、新たな習わしを作る姿勢だけは持ち続けるつもりです。

 12月の31日の大晦日に日本中で年越しそばを食べるという、いつもと同じことをする習わしを壊すことに対する抵抗がどこから来るのかを考えたら、今までと違ったことをして訪れる不運や不幸に何となく不安を覚えるために、新たなことをすることにためらいがあるようです。大晦日に1年の締めくくりとして年越しそばを食べないと新年を迎える気がしないというのもありますし、本来の由来を大事にして続けるというのもありますが、平穏無事を願う心理がいつの間にか常態化して堅い殻を作っていくのも事実です。それが習わしとなり代々受け継がれて伝統となるのですが、しかしながら、その習わしの殻に籠もっている内に、その世代全体を取り残して時代が進んでいくのも厳しい現実といえます。自分の中でも周りでも、知らず知らずの内に埃が溜まっていくように束縛される、不安の怯えの呪縛にだけは囚われたくはありません。

 標高700メートルの暮らしを日常は感じません。生活の場はあくまでも少し起伏の多い平地ですが、散歩等でその場を離れて遠くの山々を眺め、宿を振り返るとその高さを実感します。散歩コースには今は冬枯れの景色のみで、クヌギが枯れたままの葉を付けススキも枯れてうなだれています。建物は何一つない本当に山々だけの間に、遠く沈みゆく夕日の残像が空を紅く染めていく夕暮れの美しさを見られることも散歩の時間に発見しました。阿蘇の山の景色の良さは牧草地が多く見られるからのようです。昔この地は開拓者によって拓かれたようで、山の中で牧畜を飼育し、炭焼きを生業とした小屋等も在ったようです。今より寒い厳しい冬を粗末な山小屋で過ごす苛酷な生活の歴史がこの地には刻まれているようです。この宿の地名である「ふるてんじん」の集落には以前は人も住んで居たことが在るようです。現在はこの宿のみが存在するのですが、ここの場所を切り拓いた人たちの存在は忘れないようにするつもりです。この地の開拓者達は何ものにも囚われずに、過酷な困難を乗り越えて新しいこの地を造ってきたのですから。


平年なら新しい年が平穏無事であることを切に祈りつつと

 正月らしい言葉で終わりたいのですが 

 平穏無事を神任せ・人任せには出来ないほどに政治も経済も

 生活も

 難題が山積みしているこの時代こそ

 東北大震災の被災者のことを忘れず 被災者の苦しみに

 寄り添いつつ

 皆様の元気にいくらかでも貢献できる宿を目指します

 厳寒の空でも輝く月を これからの険しい道の指標として


 
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2011年1月10日
風のテラス 古天神 オーナー 井崎


この文を補足している11日午後10時現在の
外気温は零下2度ですが、深夜には
零下10度くらいまで下がる
予報がでています。何となく楽しみですが
午前3時頃に起きる自信はありません。

寒々とした南の中天の空には凛とした満月。




  
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2011年12月06日

 まずは、お忙しい師走のこの時期にも関わらず多くの皆さまにお出かけ下さったことを感謝申し上げます。夏のライブから5か月しか経っていないのに来ていただけるのか不安もありましたし、宿の方も始めたばかりで、大丈夫だろうかという危惧ももちろんありました。いつものことですが、ついつい勢いで決めてしまう癖があるもので、夏の2日目のライブが終わった打ち上げの時にベースの川上さんから、この家だったら東京のプロでも演奏しに来るよ、という発言にすぐに反応してしまい前後のことを考えずに12月3日を決めてしまっていたのでした。

 企画した目的は幾つかあり、多くの皆さまに素晴らしいジャズヴォーカルの大島さんの歌声を聞いていただきたいのと、宿でもライブをしたいというのが大前提でした。大島さんがお友達と泊まりに来られたときに宿で最初のミニライブ快く引き受けてもらい、黒川温泉の知り合いの方々を前に歌ってもらい好評を受けました。中学の同級生が9人で泊まりに来てくれたときも、浦郷君と深川君がフォーク等をギター伴奏と歌で披露してくれました。70年代のフォークで育った世代としては厨房で聞きながらも懐かしい限りでした。特に深川君作の「子供時代」という佐賀の風景を取り込んだ詞は素晴らしい曲で、是非とも世に出していただきたい1曲でした。もう一つは、ピアノを弾く二人の息子にプロのピアノ演奏を目の前で聞かせたいというのもありました。もう一つは、好きなジャズを目の前で聴きたいというのがありました。

 東京で70年代を過ごした私にとって、学生運動の背景曲としてフォークがあったような気がします。政治に結びついた時代で、今とは違って生活のために政治を世の中を変革しなくてはという思いが強かったと時代です。残念ながら今は政治に緊張感がないようです。国民を愚弄しているとしか思えません、国民の側も、自己の生活に安住しすぎたのかも知れません。70年代のその政治の季節に新宿のピットインとか渋谷のジャズ喫茶に通っていたことを思い出します。大学3年の時に初めて行ったヨーロッパ旅行のパリでもジャズのライブの店に入り、すさまじいパワフルな黒人の演奏に感激したことを覚えています。内面の混沌に押し潰されそうで暗い高校時代を送っていたある夜のラジオから流れていた、ジョン・コルトレーンのサックスに佐賀にはない違った世界があることを知らされたのが、ジャズとの最初の出会いがあったようです。
 
 経済連を辞めて、教職の資格を取るために奈良で2年間大学生活を送りました。その時期も西大寺にジャズ喫茶がありよく通っていました。京都にも寺巡りで度々出かけていましたが、その際も河原町の路地にあった、「厭離穢土」とういうジャズ喫茶の名前に惹かれて通っていました。教職に就いた最初の修学旅行の京都の地では先生達を引き連れてジャズ喫茶に行ったことを思い出します。そういうジャズとのつきあいは長いのですが、好きなプレイヤーを挙げろといわれると窮するのです。何枚もCDも持っているのですが、この人というよりジャズの醸し出す大人の洒落た退廃に惹かれたのかも知れません。だから、聴く曲は大編成やデキシーよりコンボのモダンジャズでピアノやサックスを好みます。大学時代ジャズ喫茶に流れていたフリージャスには付いていけませんでしたし、その後のフュージョンも合いませんでした。

 こういうジャズとの長い付き合いをしていたので、ピアノを弾く二人の息子にはジャズを強制的に勧めました。練習曲から始まりクラシックの前で終わるのがだいたいですが、教えていただいた小林先生が自由にさせるタイプの方だったので、今でもマンションに電子ピアノを置いて気晴らしに弾いているようです。長男はJポップ次男はジャズからクラシックJポップを弾いているようです。この二人にプロの演奏を生で聴かせたかったものです。ジャズを聴き続けている私にとって、我が家で聴ける事は夢のようでした。まさか、水上勉の作品に惹かれて徘徊していた京都の先斗町で聞いたジャズを30年後の我が家で聴こうとは思いもしませんでした。それも、やはりイベント好きだった私の生活の延長上にあるようですし、遊び心いっぱいで造ったカフェー風のこの家のおかげでもあります。この家に来て下さった友人知人がなんかくつろげるという感想を漏らしているのを聞いていたため、いつかはこの家で何かをしたいという思いは持ち続けていました。それが、好きなライブの演奏会場になるとは予想もしなかった事とはいえ嬉しい限りです。

 そのほかに主催者でしか味わえない喜びの時間があるのです。開演前のリハです。出来上がった舞台を見るのはどなたにも機会が与えられています。宿をやり始めてからそこに至るまでのプロセスが気になっています。場を作り上げるのはどなとも苦労されているようです。宿もお客様をお迎えして生き生きと活気づいてきます。お迎えするお部屋のしつらえ、露天、接客そして楽しんで期待を膨らませておられる料理。料理屋さん等に行ってもなるだけカウンターに座り人の動きを見ているのです。料理も演奏会と一緒でお客様を目の前にしてからはやりなおしがきかないのです。

 夕食の時間が近づきお客様を食事処の席に案内すると、お出しする料理もライブ感と臨場感あふれる緊張の中で作っていきます。女将が作ったその日のお品書きと、お客様の口にしか残らない、すぐに消えていく料理に時にはもどかしさを感じることがあります。料理をした体感はあっても、私の手元には作った料理の実態が残されないからです。それがお客様に提供する料理であり、おいしかったという言葉が次の料理に向かわせる励みになるようです。今回のリハで学んだことは、プロの演奏家は事前打ち合わせ無しで大島さんの歌う曲を当日すぐに演奏できることです。プロは当然かも知れませんが、部分部分の調整だけで曲が出来上がっていくのです。その舞台を作っていく過程を、舞台の裏側をプレイヤーの素顔を見られるのも我が家で催すライブの楽しみの一つです。

 私も野菜等の素材一つから生まれるここでしか味わえない料理を目指しているのですが、まだ暫く時間がかかりそうです。ただ、料理は演奏と同じでライブ感が大事です。この秋に植えた渋柿の熟柿を見てひらめいた料理もなるだけお出しするようにしています。作った者の手元に残らない料理であれば、お客様の胸の中にだけは味の余韻が刻める料理人になるよう精進していくつもりです。

 今年の秋はどこもきれいな紅葉を見ることが出来なかったようです。寒くなるのは苦手ですが、季節に合った気温になって欲しいものです。秋は秋らしい寒さでないと、植物も野菜等もどう成長していいのか困っているようです。しかしながら、気候の変調も元を正せば私たちが環境をないがしろにした生活の結果なのです。きれいな紅葉を毎年見られるようにするためにも、私たちの生活をより循環型に近づける必要があります。古天神のモミジも真っ赤に染まらず無惨にも散ってしまいました。露天に散ってくるモミジが来年こそは真っかに染まり、お客様を楽しませることを願って・・・

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    大島さんと川上トリオのリハ

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    VO 大島麻池子

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     ベース 川上俊彦

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       ドラム 中村 健  ピアノ 緒方公治

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     9月30日 宿での大島さんのミニライブ 箸をマイク代わりに
     
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    11月5日 成章中の同級生一行 浦郷君と深川君の宿での演奏




         23年12月6日

         『イフ・アイ・ワー・ア・マジシャン』ルウー・ロウルズ

         この曲を繰り返し聞きながら

         風のテラス古天神 オーナー 井崎




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2011年11月19日

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 12月3日の大島麻池子と川上トリオのジャズライブはおかげさまでほぼ定員に達しました。まだ席にゆとりがございますので、ご希望の方は早めにご連絡下さい。

 今年の古天神の秋はすっきりしません。毎週末ごとに雨が降りますので、宿泊のお客様にはさわやかな秋を満喫していただいたかどうか分かりません。本来であれば、秋が深まり紅葉も色とりどりに山を色づかせるはずですが、写真でも分かりますように。真っ赤な紅葉になりきらず、すでに枯れ果てて落ち葉となってしまっているものもあります。野山の木々たちも身につける衣服を冬支度にして良いのかどうか、とまどっているようです。気温が一気に冷え込まないと美しい紅葉には染まらないようですので、残念ながら今年の紅葉は期待外れでした。

 しかしこの山里に住んでみますと、秋が確かに進んでいくのは分かります。緑一色だった山の景色が次第に赤や黄に変わっていくのを、ある日ふとしたときに気づくほどにゆっくり移ろっていくのです。山の色彩が豊かになって、山里の生活を実感し、また冬が近いことを知らされました。

 明日もお客様をお迎えしますが、この雨が上がる夜明けから気温が急激に下がり、最低気温はマイナス13度も下がり1度か2度の予報が出ていますので、体が付いていけそうにありません。一気に冬の気温になるとは、木々同様に体の支度が出来そうにありませんので明日の朝はどうなることやらです。これも標高700メートルの季節とともにある山里の宿の生活の装いかも知れません。

       11月19日
  
       古天神 井崎





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2011年10月30日

 夏に続き、ジャズライブをカフェー桜乃において企画しております。今回もVOの大島さんを始め、前回出演のベースの川上さんをお迎えし、川上トリオとしてピアノ緒方さん・ドラム中村さんにも加わっていただきました。九州のジャズ界では第一人者の方々ばかりで大いに期待が出来ますので、皆さまのご来場をお待ちしております。


 第3回カフェー「桜乃」
        ジャズライブ

期日 12月3日(土)

時間 開場19時  開演19時半

場所 カフェー「桜乃」佐賀市駅前中央 2−10−28

料金 3000円  ワンドリンク付き

定員 約30名様

出演者
  「大島麻池子と川上俊彦トリオ」  

ベース  川上俊彦

 ピアノ  緒方公治 

 ドラム  中村 健

V O 大島麻池子

      九州ジャズ界で大活躍中のアーティスト   
   ジャズライブについての問い合わせ先
        カフェー 桜乃 
     くつろぎの大人の宿 古天神 オーナー  井崎
                             
posted by 風のテラス 古天神 at 17:53 | Comment(0) | 風のテラス便り

2011年10月12日

 食材の購入や雑用品の買い物、その他の用事には地元の小国町に出かけます。ファームロードワイタの方が道は広いのですが、地元の人しか通らない山の中の細い曲がりくねった道を利用させてもらっています。半分の時間で着きますので大いに助かっています。寺尾野 原 大鶴等の小さな集落がいくつか道沿いに連なっています。まだよそ者の道行く私たちにさえ頭を下げていただき、地元の人の人情の厚さに忘れていたものを思い出させてもらっています。佐賀の町ではもう薄くなってしまっている、人との深いつながりの大切さを知らされました。さすがに、ツーリズムの先進地であり都会の人が憧れて住み着きたくなる町であることを実感しました。

 冬に備えて温泉のボイラー等や外構等の工事は残っていますが、激流を下っていたようなオープン時の慌ただしさは収まり、宿での生活も落ち着きを取り戻しつつあります。もちろん、お客様をお迎えすると忙しくなりますが、オープン当初は全く先が見えてなくて、段取りも応対も皆目見当がつかず不安と緊張の中、ただ目の前のお客様の対応を精一杯努めるだけでした。ゆとりも、余裕もなく、ただがむしゃらに働いていたような気がします。おかげで、オープン時のお客様には様々なご不便やご迷惑をお掛けしたことを今更ながら、お詫び申し上げます。

 やっと少しだけ宿の生活に慣れてきますと、周りが見えて来ました。小国までの山道にはコスモスが風にそよいでいるのです。もう、一部の田圃では稲刈りも済んでいました。彼岸花やコスモスや渓流の流れも目に入らず、ひたすら未知の宿の道を拓くために走り続けていました。物事を新たに始めるには、相当な労力が要ることは覚悟はしていたつもりでしたが、遙かに想像を超える多忙さに圧倒されました。しかしながら、利用していただいたお客様の喜びの声をダイレクトに受けることが出来るのが、この仕事の醍醐味かとも思い知らされました。やることなすこと初めてのことで、あたふたとぎこちない中でも新たな仕事の新鮮さに感激しながら包丁を握っていました。厨房からテラスの窓を通して見えるあふれる緑が、胸の奥まで染み渡っていくのも感じていました。その厨房をこれからの拠点として、お客様に驚きかつ喜んでいただける新たな味を、自在に操れることが出来る日を目指して、日々精進していくつもりでいます。

 小国までの山道を走りながら、私の中にあった原風景に出会えたような喜びを感じています。私の生まれた佐賀駅近くも50年前は見渡す限り田畑しかありませんでした。両親は元気に農作業に励んでいました。テレビもなかった村の子供にとって、村の祭りや年1回の村の旅行は楽しみの一つであり仲間との絆を確認する場でもありました。子供時代に過ごした田園の風景が私の原風景です。町が次第に都市化されていくことに馴染めず、疎外感と違和感を抱き続けていたのでした。私を育んだのは田舎の土であり風なのです。大人になっていくにつれて、私は私の景色を喪失したまま、ふる里を見失ったまま、この小国の地にたどり着くまで、ふる里の情景を求めて漂っていたのかもしれません。そんな思いにさせる小国の里の景色なのです。

 小国に行く途中の流れていく景色には、里の人々の現実の生活は見えません。しかしながら、里の人々を育む土も風もここではいまだ健在なので、都会人と心のありようが違うのは予測がつきます。都会の生活が何故に疲れるのか理由がここに住んで見えてきました。都会では人間の欲望がをむき出しになっていくような景色だったのです。人々の見栄や欲望を刺激するネオンや看板はありません。身の丈にあった生活が出来るのです。他人に思いを馳せるゆとりをなくすのも熾烈な都会の生活では仕方もないかもしれません。もちろん、都会には人間の欲望がむき出しになっているからこその魔力もあり魅力もあります。都会でしか住めない人が居るのも事実です。そういう疲れた都会の人にも安らぎを与えるのが、緑とせせらぎと鳥の声しか聞こえない、この古天神の魅力でもあります。

 里の景色の中、里の人々の暮らしの中、私のふる里の景色を取り戻したこの地で、秋の山道を、コスモスの咲き乱れる里の道を、小国へ食材を求めて明日も走ります。

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           小国までの買い物道      

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棚田のような田圃 陰干し米の新米を隣の農家に予約

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       この宿の名前の由来の地名 ふるてんじん橋 
       宿の横を流れる川の名は蛭石(ひるいし)川
           筑後川の源流の一つ
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        宿の前のファームロードワイタ わいた温泉方面


 オープン時に限らず、今でもお祝いをいただいてます。佐賀に帰ったおり届けていただいたり、宿に持参していただいたり皆さまのお気持ちに、期待に応えるように女将とともに頑張りますのでよろしくお願い致します。皆さまの温かい応援に支えられていることに感謝しながら、近づきつつある紅葉のシーズンに迎えるお客様の準備をしております。


     12月分の宿泊の予約お受け致しております。


                   古天神オーナー 井崎
                   23年10月12日

posted by 風のテラス 古天神 at 23:00 | Comment(0) | 風のテラス便り

2011年09月26日

 さわやかな秋晴れの中 くつろぎの大人の宿「風のテラス古天神」はやっとオープン致しました。

 紆余曲折があり、何事も物事を始めるにはなかなかスムーズにはいかないものですが、皆さまのご支援とご協力 激励を支えになんとか開店にこぎつけることが出来ました。

 23日金曜日のオープン最初のお客様はわざわざ愛知の方から40年ぶりの大学時代の同級生が家族で利用していただきました。お泊まりいただいた上に過分なお祝いまでいただき恐縮の限りです。もっとゆっくり積もる話をしたかったのですが、忙しくて十分なおもてなしを出来なかったのが心残りとなりました。

 土曜日は二組様、小・中学時代の同級生のご家族と知り合いのご夫婦様でした。同級生の方は高齢のご両親様と一緒だったので料理等がお口に合うか心配していましたが、ほとんど残さずに食べていただき安心致しました。親孝行の見本をのような同級生の暖かい親子関係を学ばせていただきました。また、知り合いのご夫婦の奥様からはメニューの品書きを見ても次にどんな料理が出るか想像が出来ず、味も良くて楽しかったという声をいただきました。

 まだまだ至らぬところも多々ありご迷惑をお掛けしましたが、これからもっと改善し発展していくように努めていきますのでよろしくお願い致します。まずはオープンの最初で慣れないための粗相やご不便をお掛けしましたことをお詫び申し上げ、ご利用いただいたことに深く感謝申し上げます。

 開店のお祝いとして多くの花束やフロントを飾る鬼の置物や時計を始め品物等もいただきました。暖かいメッセージを添えたり、わざわざ花屋さんに植え込みを注文されたりと皆さまの心のこもったお祝いに女将とともに喜んでおりました。本当に有難うございます。

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            23年9月26日(月)          
            くつろぎの 大人の宿
            「風のテラス 古天神」 オーナー 井崎







posted by 風のテラス 古天神 at 15:13 | Comment(0) | 風のテラス便り

2011年09月12日

 待望の露天風呂が完成しました。モミジの群落の中 せせらぎを間近に聞き 開放感あふれる露天風呂 いくつも露天を手がけている松平さんも会心の出来映えと満足されていました。

 湯船の石組み一つ一つにも考え抜かれた技が光っていました。京都の石庭とはいかないまでも、石庭にも負けない哲学的な石組みには感心させられます。入浴されるお客様の視線の先の景観やゆったり感を十分に味わえる露天となっております。 

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      秋の11月初旬頃は紅葉の中での入浴

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      外構が未整備なので宿の正面より

      テラス側からの方が今は風情があります

      緑の中に 宿が 埋もれています

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      この季節までは ゆっくりテラスでくつろげます

      
      渓流の音も飛び込んで来ます


      手すりはつけない方が景観を楽しめる

     
      という意見が多いのですが      

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         今の季節は加温なしの源泉かけ流しで

         オープン前の慌ただしさを暫し忘れて

         朝 昼 晩 と 温泉三昧

         硫黄のにおいの上には中秋の名月

         秋始まる 古天神
                          23年 9月 12日

                          古天神 オーナ 井崎
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2011年08月11日

お茶のすえざき園
お茶のすえざき園

菓子職人の小屋デタント
菓子職人の小屋デタント

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クラシック音楽/ジャズに最適な音響をお届けします.
高音質クラシック音楽 サウンドプレステッジ
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古天神自慢のテラスです。

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寝室は小上がりの和風ベットとなります

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お部屋のリビングの一角の床をあげて、掘り炬燵風の作りとなります。

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お風呂からも、お部屋からでも、森と小川を眺められます。


posted by 風のテラス 古天神 at 11:47 | Comment(0) | フォトギャラリー

2011年07月21日

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       御礼
              
    カフェー「桜乃」
  シャンソン・ジャズの夕べ

 お忙しい中ご出席頂きありがとうございました。おかげさまで演奏会は16日・18日の両日とも大盛況で終えることができました。十分なおもてなしができず、心苦しい面もありますが、出席いただいた皆様からも、またVO・ピアノ・ベースの出演者からも好評を頂きました。宿の紹介もたくさんしていただき、このHPにも多くのアクセスがありました。皆さまから何かとご協力いただき感謝申し上げます。

 次にも何か企画等がありましたらお知らせしますので、ご期待ください。

 演奏会では16日16000円  18日19500円の募金が集まりました。全額佐賀新聞社を通じて東北の被災地へ寄付させていただきます。26日(火)の新聞に掲載されます。ご協力ありがとうございました。

 このHPも8月に全面アップするよう準備を進めていますが、現地の工事の遅れで写真撮影が遅くなるようなので、とりあえず、宿の詳細の内容だけは後1週間ほどで掲載します。また、カード等でお知らせしている宿の予約電話番号については、回線は開通しているのですが、内装工事の関係で未だ電話機につながっておりませんので、暫くお待ち下さい。写真を入れたHPの完成版はお盆頃になる予定となりましたので、お待たせしておりますがよろしくお願いいたします。

           7月21日    古天神 井崎
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2011年05月23日

梅雨の走りの降る窓の外に、山法師が白い花を咲かせています。今年は気づくのが遅くやっと最近になって白い花を目にしました。家にいながらにして花に気づかなかった、日頃の生活のゆとりのなさに呆れます。宿のオープンまで残すところ約3ヶ月となりました。現実の厳しさがより近くに感じられ始めると、次第に本当にやっていけるのかと不安も心配も膨らんできて、二人して重い気分に押しつぶされそうになってきていました。何もかも準備することが多すぎて、どこから手に付けていいのか混乱していました。そういう生活を送っていますので、窓の外の季節の変化にも目をやるゆとりも無かったようです。山法師は好きな花の一つです。可憐な花をひっそりと気品高く咲かせているたたずまいに惹かれます。宿のあり方も、そういうたたずまいを基調としたいのですが、暫くの間は粗相や失敗の連続であたふたとした、とても山法師のような咲かせ方は難しいようです。ただ、おいで頂いた試食会でも助言いただいたように、私たち夫婦の気さくな飾りのない雰囲気はなくさないように心がけるつもりでいます。上質な宿の雰囲気、上質な部屋の造り、上質な料理はお出しする予定ですが、気取った堅苦しい心の通わないおもてなしだけは、避けるようにしていくつもりでいます。

 これからはサービス業を始めるわけですが、もう既に仕事をされている方々の話は厳しいものがあります。もちろん、これまでの仕事も大変な面ももちろん多く、それなりにやってきたつもりです、教えられたことも多くありました。苦労もありましたし、どうにもならないような困難に直面したこともありますが、救いは生徒との関わりの中では生徒の笑顔に何回も助けられたことです。また、ある企画に対しクラスの生徒がまとまって自ら動き出したときの感動体験は、教職生活の今にして思えば宝のような気がします。教職生活の大半は生徒と何かを作り出す体験を共有してきたような気がします。教育が厳しいしつけをしなくてはいけない面もあるのは当然だし、そういう中での人との関わり方しかできない生徒もいるのも事実です。ただ、規律を押しつけることが目標で規律の先にあるものが思い描けないような、そこから教育の創造に結びつかない指導にはずっと違和感を感じていました。生徒と企画を考えてイベントを成功させるためにどういう役割や配慮が必要か、何を課題としてみんなで論議すべきかを、そこから人間関係のあり方も学んでいく教育に努めてきたつもりです。

 そのために、業種は大きく代わっても、宿の企画もこれまでの生活の延長上にあるような気がするのです。果たして、お客様が笑顔で宿を帰っていただくかはこれからの私たちにかかってくる訳ですが、そこに労を注ぐのは惜しまないつもりでいます。かつて現役の生徒達に仕事を辞めてからの夢の話を聞かせたときの生徒の目は輝いていました。夢を描けない生徒・子供達が増えています。生きる指針を提示し、意欲を育み希望を叶える方法を語っていけば、この国の将来を背負っていく創造溢れる人材が育っていくはずです。生徒の表層だけを見た、生徒の心の中に届かない指導では、つまらない大人の人生を教えたにしか過ぎません。

 先達の教師には枠にとらわれない個性豊かな先生達が多くおられました。パソコンは出来なくても血の通った厳しくも暖かい指導をされていました。学校に活気が漲っていました。生徒も個性に溢れていました。教師の幅を狭くしたのはただ単に現場に責任があるよりも、そのような教師しか育てないような教育のシステムにしてしまった政治にも責任があります。このような大震災を前に、国民は一つになって何とかしようと支援の気持ちでまとまっているのに、政治家達のこの期に及んでも政局にしか出来ない愚かさに情けなさを通り越します。長い目で、こういう国のあり方を変えていくのが教育であり、そこに現場の教師の存在価値があるはずなのです。多くの生徒に夢を語ったことを私は実現させたいし、言葉だけでなく行動としてやり始めることが、仕事を辞めてからの、生徒に対する責任の取り方だと思っています。これからの事業が失敗するか、成功するかが問題ではなく、教壇の上で言ってきたことを実行に移して、やっと本当に教職の仕事を辞められたような気がするのです。もちろん、このことは私の胸の中の吐露ですので、お客様に対しては宿での楽しみをいかにして満足していただくかしか考えていません。

 さいわいにして、宿の色んな話をさせていただいている方々からは応援の言葉を多く頂いております。レストランの方、宿の女将、教え子、中学や高校や大学の同級生・後輩、元のJAの仲間、教職の仕事で知り合った方々、家内の関係の方々、現地で知り合いになった方々、旅先で知り合いになった方、親類縁者、地元の方々、そのほか色んな縁でつながりが出来た多くの方々から暖かい応援を頂いていることに感謝をしております。不思議なことにそんなことをしてどうするのだとか、何かを始めるときに出る、心配からの忠告等はなく応援の言葉、期待の言葉が多いのが私たちの支えにもなっているようです。もし、そうではなく非難の言葉が多かったら、私たちの先にはこれから始まる梅雨のような暗雲立ちこめた宿になるのでしょうが、ほとんどそういった言葉を受けませんので、私たちが甘いのかも知れませんが、暖かい応援の言葉と期待に応えられるような、雨の中でも白い花を咲かせて存在を示している山法師のような宿にしていきたいものです。

 もっとも課題としている宿の試食会も昨日で27回目を終え、さいわい好評をえました。時間を割いてお出で頂いた皆さんに感謝いたしますと同時に、貴重なアドバイスも大いに参考にさせていただきます。ありがとうございました。

23年5月23日

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2011年05月05日

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昨年の7月仕事を辞めて以来、宿の研修以外どこにも行かずほとんど家に籠もって料理の研鑽を積んできました。料理の道は厳しくて、まだまだ未熟の域を出ませんし、東北の震災も依然として悲惨な状況は続いていますので、迷いはありましたが、かねてより念願だった汽車の旅を、家内と4月25日から二泊三日で行ってきました。九州内を家族で旅行するときはほとんど自家用車を使っていたのですが、九州の観光列車は斬新な外観と、九州らしさを取り入れた内装やデザインが全国の鉄道ファンから注目されているらしく、いつかはとあたためていました。

 それと列車に乗りたいもう一つの理由は、恥ずかしいことにこの年になるまで、九州の内陸部を横断特急が走っていることを知りませんでした。アメリカの大陸横断は西部開拓を辿る旅でもありますし、貧しいバックパッカーはヨーロッパにもっとも安く行くためにシベリア鉄道を利用していました。五木寛之もシベリア鉄道を利用した主人公の作品を書いています。沢木耕太郎の「深夜特急」も旅の作品としては秀逸です。日本はアメリカの一つの州でしかないカリフォルニア州よりも小さいのです。私たちは、佐賀から北海道まで車で走ろうとは余り思いません。しかし、アメリカ人は西のロスから東のNYまで1週間掛けて車で走る事があるようです。体の中の地理感・距離感が日本人とはスケールが違うようです。空間に対する認識が違うことはものを考える概念把握の上で感覚の違いが出てくるのかも知れません。佐賀から北海道まで走ることはとんでもなく遠いことではないと思えるようになりたいものですが、関西までも車で走ったことが無いので、今以上に空間の認識を広げることはたやすいことではありません。

 巨大な阿蘇山が真ん中あたりにドーンと座っているために、九州を横断して山岳地を鉄道が走ることは不可能と思いこんでいたのです。単に地理の不勉強かも知れませんが、熊本から別府までの九州横断特急があることを知ってからは、いずれは乗りたいものだと小さな夢を膨らませていました。初日は新燃岳の噴火の影響を受けている霧島温泉まで、「SL人吉号」「いさぶろう」「隼人の風」と観光列車を乗り継ぎました。この慌ただしい現代において、ゆっくと走る蒸気機関車のSL人吉号は、ゆっくりにしか走れない、そこにこそ失ったものを取り戻すかのような安らぎがありました。時折車内に流れ込む蒸気機関車の石炭を焚く煙のにおいの懐かしかったこと。列車内のサービスを務める女性のアテンダントは、ただ単に笑顔を振りまく昔の花形と違いしっかり仕事をされながら、観光列車に乗務する仕事への誇りとお客への愛情溢れるサービスを感じました。旅を好きな行きずりの旅人達との交流が楽しく、最後尾のパノラマ席を離れられませんでした。球磨川を右に左に交わしながら、遠ざかるレールはこれまでの様々な思いも一緒に乗せて流れていくのです。

 翌日は九州新幹線で鹿児島から一気に熊本に戻り、いよいよ大陸横断鉄道です、いや、九州横断特急です。一応特急なのに、たったの2両のディゼル機関車です。少し頼りなさそうなので山を越せるのかと心配になりました。前日の「いさぶろう」でも初めて体験しましたが、急な山を列車が登るための方法があるのです。それは、ある標高まで進行すると、線路を一端は逆に走行して戻り、次に線路のポイント変換して前に上って行く、スイッチバック方式です。それを立野まで行って阿蘇の外輪山を登っていくのです。雄大な阿蘇はかなり遠くからでも横たわっている涅槃の姿で見られますが、走行している列車の右の方には確かな阿蘇山が、烏帽子・杵島岳・中岳・高岳・根子岳とそびえ立って続くのです。九州を横切って、阿蘇山を遠巻きに横断特急は走るのです。6月からはこの線路を復活した阿蘇ボーイが走るらしく、列車の旅の楽しさが期待できそうです。竹田を過ぎ、岡城趾を遠くに眺めながら、大分を通過したところで海が開け、別府湾の向こうに横たわる仏の里の国東半島は、すでに夕暮れにかすみ始めていました。文人が好みそうな小さな静かな宿でも、若いながら落ち着いた仲居さんのもてなしに和ませてもらって、ゆっくりと温泉に浸かり、おいしい料理を堪能しました。3日目はあいにくの雨となり湯布院の散策は次の機会に回し、九州の観光列車第1号の「湯布院の森」号で鳥栖に戻りました。

 外国に出かける方が多い中で、どうしても国内にこだわってきました。外国に気軽に行ける時代となり旅行といえば海外位に出ないとという風潮もあります。もちろん、見聞を広めるためには若い世代には是非とも海外に出て欲しいのですが、私は地元である九州の足下にも見所や魅力ある景観は多くあるよう気がします。川のせせらぎを聞きながら温泉に浸かる喜びは海外では味わえない旅の楽しさです。私が温泉を持ちたいと思ったのもそこにあるのです。あちこちを見て歩く旅も楽しいのですが、年を重ねるとじっくりと景色の中にも、温泉にも浸かって、自分の中にため込んだ疲れを解きほぐし、明日への活力と人生を見つめ直せるゆっくりした時間の中に至福を感じたいのです。佐賀に住んでいると九州は身近すぎて、若いときは余り興味を持てませんでした。しかしながら、今回の列車での小旅行は九州の味わい深い魅力を再発見出来るゆったりとした列車の旅となりました。

23年5月6日   
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2011年04月21日

 次男の受験の為に12月以来休んでいた宿の試食会を再開しました。暫く人様に出す料理から遠ざかっていたので緊張しました。家族に出す料理は時々作っていましたが、コースで出すメニューと違い、どうしても甘い態度になっていました。ただ、料理の勘だけは鈍らないようにと台所に立っていたのでしたが、人様に出す料理とは心持ちから意気込みから違ってくるのは、第24回目のメニューを作成する段階から感じていました。家族に出す料理も相当厳しい批評を受けていましたが、身内の中では主観的な評価の域を出ません。しかしながら、久々に日程と招待するお客様が決まると体に意欲と緊張感と不安が溢れてきます。試食会の10日位前から出す料理の試作品作りをします。味や盛りつけを家内と事前に検討するためです。この段階で二人が納得しないと消えていくレシピもあれば、味の調整とアレンジ等を加え再工夫をして当日のメニューに載ります。約4ヶ月ぶりの試食会でしたが、前日から自分でも体が動くのが分かりました。前回も約1年ほど間をおいて再開したときには体が料理の勘を忘れていて困りましたが、今回は体が覚えているのを自分でも分かり安堵しました。

 秋の終わりくらいからイタリアンを中心としたメニューから、和食に重きを置いた料理に内容を変更するようにしていました。和食を食べたいとおっしゃる多くのお客様の声を尊重した変更でした。大学に行ってる二人の息子は、和食に変更することに不満を持っていましたが、宿のお客様の嗜好は和食がやはり圧倒的に多いようです。もちろん、前菜の中には和だけでなくイタリアンもエスニックもお出しするつもりですが、メインは和食の流れになります。和食を最初からやらなかったのは、板前さんの修業もしたことのない自分には作れるはずがないと思っていましたし、今でも和食の繊細さ素材重視の料理には敬服せざるを得ません。その和食の厳しさを知った中で、和食の方向性を持って進むのは容易ではないことは充分承知しています。プロの料理人さんからは何を子供だましみたいな事をとお叱りを受ける事も覚悟の上で、一番だしの取り方から練習を重ねています。和食の味付けは昆布と鰹節の出汁と醤油とみりんと酒との絶妙なバランスです、そのどれかが多すぎても少なすぎても味は立ちませんし、素材の持ち味をいかにして引き出すかが、和の調味の難しいところであり和食たるゆえんでもあるようです。しかしながら、ただ和食の形をした料理をお出しするつもりはありません、この季節にあったタケノコの若竹煮等は季節ものですので必ず一品はお出しするつもりですが、他の料理は斬新な味付けをした料理を出せるように工夫をする予定でおります。幸いに、今回の試食会でお出しした若竹煮の味付けも好評を頂き、和食の道をより以上に精進していきます。

 何はともあれお客様からの色んなアドバイスに助けられています。料理のことだけでなく試食会に参加されたお客様から阿蘇神社近くで、数軒の雑貨の店が集まったすばらしい所があると紹介されていました。宿の打ち合わせの途中に早速訪ねたところ、器や味のある書を書かれる店に出合いました。その店の方から、道中立ち寄った宿の余りの立派さに衝撃を受け太刀打ちできないと、少し夫婦して落ち込んでいた心を慰めて癒していただきました。また、同じ敷地内で寒ざらしを食べさせてくれた、ひなびたお店のおばあさんとの何気ない会話がいつまでも心に残りました。きらびやかに飾られてもいないし、素朴なだけのたたずまいながら、店のご主人の個性溢れた店店でした。そこには、今私たちがもっとも求めていた暖かい温もりが感じられる所でした。そんな温もりをお客様に感じていただける宿に、古天神もしていきたいと励まされる阿蘇のしばしの散策でした。何でも整った立派な宿には出来ませんが、二人でお客様を心を込めておもてなしする温かさだけはどこにも負けない宿にしようと、夫婦で決意を固めながら阿蘇を背に帰途につきました。

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2011年03月30日

 どう書いていいのか 何を書けばいいのか 今の気持ちを表現すべき言葉を持ち合わせていません ただおろおろと宙を見つめつつ過ごすばかりです。元気を出さねばならないのは私たちではなく、被災され方々のはずなのに日に日に惨状の余りの大きさを目にしていくと、私たちが元気でいることが申し訳ないような気持ちにさいなまされます。

 被災された方々、地域が日常の生活を取り戻すのは容易ではなく、この先の見通しさえついていない現状では、どんな言葉も気休めにしかなりません。今必要なのは安易な励ましの言葉ではなく、一個の暖かいおむすびであり、一杯のみそ汁のはずです。それさえ出来ない自分は自責の念に駆られます。言葉を失うしかありません。しかしながら、避難所では食料を始め、あらゆる物が不足しています。住む家どころか、すべてを失ってしまわれた方に何が出来るのか、いずれ支援物資は届いても、大切なかけがえのない思い出のものは取り返せません。それ以上に、家族を喪われた方の哀しみを埋める言葉はとうてい見つかりません。絶望の淵に立たされている人々に向けて、何も出来ない自分の無力さを、もどかしく悔やむしかない自分を恥じ入るばかりです。自分を責めて免罪にしている訳ではありません。被災された方々の哀しみと絶望に、何らかの光明が射し込むのをひたすら祈るしかない自分を情けなく思うばかりなのです。

 今年ほど桜の花が似合わない季節はありません。ことに寒かった冬が終わり、やっと陽光射し込む春がそこまで来ていました。桜の花も蕾を膨らませ、今を盛りに花開き世の中を明るく開く先駆けを務めるはずでした。その華やかな桜の花は華やか故に、今の日本にはそぐいません。明るい花を見れば見るほどに、花の隙間の彼方には哀しみの空しか見えて来ません。

 寒い被災地のことを思うと、この春は気温が上がる春の季節はやってきても、桜の花はまだ咲いて欲しくありませんでした。桜の花よりも、希望の光明のともしびが灯ることが先なのです。だから、花を愛でる気には今はなれません。花を見ると元気になれると現地の方がおっしゃるのなら分かります、しかし、被災者の哀しみに共感できず、無責任に元気を出さないことが悪いようにおっしゃる方とは一緒になれません。ものが足りてもいず、哀しみの傷が癒えてもいない方に元気を出せと言うのは無神経すぎます。元気な言葉で励ますのではなく、被災者が元気になれる何かの提示が必要なのです。悲観的なことを書き過ぎていることは承知しています。ただ、うわべの言葉で励ますことの方がもっと罪深いことも承知しているのです。被災地の方々に春の兆しさえ見えない現状では、花に浮かれることよりも、継続的な物心両面の支援を優先すべきでしょう。

 大学のサークルの先輩から東北に住む先輩の安否のメールが届きました。釜石に住む大学の先輩は危機一髪で津波にさらわれるところだったそうです。テレビで見ていた画面が一気に身近に迫りました。危うく難を逃れられたとのことでご無事だった事を喜びました。何らかの支援をサークルでもする動きがありましたが、個人の配送はかえって物流を混乱させるので公的な支援のほうで当分はやってくれとのことでした。

  宿のほうも、設計の北里さんによると建築資材で手に入らないものが出てきたそうです。震災地に回すのを優先されているようらしいとのことです。この先どうなるか分かりませんが、まずは震災地の復興に回すのは当然のことですので、完成が遅れるのは仕方ありません。オープンについては今後の進み具合を待ちたいと思います。


 福島の原発は予断を許さない闘いが続いております。私たちの立つ地球に安全なところは無かったのです。安全と思いたがったのは分かりますが、地球は日々活動していたのです。このことは、地球のどこにいても危うさを隣り合わせに生きていくしかないと言うことです。儚さの出所はここにあったのです。退廃は人間の所為に待つところが多いのですが、儚さは人間のはかり知らないところを背景にしていたのでした。

 しかしながら、人は懸命に人のために闘っています。原発にも、救援にも、避難所にも、物資の運送にも、医療でも、行政でも子供も、ボランティアもそれらを支える家族を始め、あらゆる人々が人のために闘っています。もちろん被災された方々がもっとも過酷な闘いを強いられています。人は人のためにともに闘うことで、儚い地球を堅牢な地殻へと築いていくのかも知れません。人はやはり強いのです。そこにやはり希望の灯はあるのです。

 九州の地において私たちに出来ることは、今現在の支援と同時に、今後数年はかかる復興に、なにがしかの側面からの支援でもあります。まず、日本の経済の底上げをはかる必要があります。産業面はもちろんのこと農業・漁業・観光等あらゆる分野での疲弊が予想されます。暫くは慶事ごとの自粛は当然としても、なるだけ早く以前の生活に戻していくことも大事なことです。私たちが、生活を控えすぎるとそのことが被災地の方々の生活の向上にはつながりませんし、ひいては日本の景気にも影響を及ぼしていくはずです。不況という波の襲来を被災地から守るためにも、私たちが活発な経済活動をすることも遠回りではありますが課せられた責務ではないでしょうか。

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  23年3月29日

 
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2011年03月16日

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           佐賀市役所1階ロビー

 前回に続いて地震のことを書こうとは、それも我が国の悲惨な状況を書かねばならない天の配剤の酷さを恨みます。まずはお亡くなりになった方々に謹んで哀悼の意を捧げますとともに、多くの行方不明の方が一刻も早く助け出されることを祈り、被災された方々へお悔やみ申し上げます。また、被災地において救援活動されている皆さま本当にご苦労様です。

 収まるどころか被害の状況が深刻化するにつれて、いたたまれない気持ちは哀しみに代わるばかりです。そうはいっても、今現在この時に苦しんでいる方々が多くおられる中で、離れた所から被害の状況を見ただけで嘆き悲しんでも何の力にもなれません。何かをやらねば、何かの力にならなくてはという気持ちを、具体的に行動に表さなくては所詮無責任な傍観者の態度にしかすぎません。もしそうであったら被災者にとってはよけい酷い仕打ちになります。何か少しでも助けに、力になりたい気持ちは、ほとんどの日本国民が共有しているようです。こういうときに他人事のように振る舞っている人は幸いなことにいないようです。大半の国民が、被災地の人々の苦しみや悲しみに寄り添い、心を一つにしていることが何よりの励ましになるはずです。このことが出来れば何はさておいてもやらなくてはならない、地震の被害に対する支援の輪は広がるはずです。

 海外から日本の震災に対する、被災地の人々の規律ある行動や助け合い、また全国からの支援の広がりを報道では賞賛しているようです。私たちは自国の人だけでなく、苦しんでいる人に対して人として手をさしのべる事は倫理観としても心情としても当然のことなのに、それを賞賛されることに、気恥ずかしさを覚えます。確かに略奪が横行したり無秩序な行動をする人はほとんど見かけません。こういう悲惨なときにはどういう行動をするかは教えられなくても、どう行動するか、どう振る舞うかは自然と育っていた日本の風土、被災地の人々の行動は誇りに思える事です。被災地の人々が互いに助け合って必死に生きようとしている姿は頭が下がるばかりです。どうか、救援の手が届くまで支援の物資が届くまで元気でおられることを祈らずにはおられません。

 今回の地震は残念ながら日本の半分が被害を受けそうにまで広がっています。発生から五日経ってもまだ余震は続いています。安全といわれた原発までも甚大な被害を受け放射能汚染が広がる最悪の事態になりつつあります。原発を進めた人の責任を責める議論は後回しにしてでも、今は被災者の救援を最優先に、政治家のリーダーシップを国民の生命・安全を付託された者として発揮して欲しいものです。日本という国の危機を迎えている今こそ、政治家も経済界も自治体も国民もともにこの未曾有の困難に対処していく必要があります。政治家は被害を最小限にとどめる使命を果たしていく決意が必要です。国民は支援に対する適切な指示を待っていますし、誰もが協力する用意と行動に応じる備えを持っているはずです。一回物資を届ければ義務を果たしたとか、自己満足的な思いで義援金を届けたとか、想像をはるかに越えた今回の大地震の被災者を前にして誰もが思っていないずです。いずれ街は時間がかかったとしても復興していくでしょう。しかし、亡くなられた方々はどれだけ時間が経っても残念ながら帰って来られません。この深い悲しみはいつまでも消えることなく遺族の方の胸に残る事を私たちは忘れてはならないはずです。そのためには、被災の方々、被災地が復興を遂げるまで一過性の支援ではない支援の輪を広げていく必要があります。

 やっと次男は希望の大学の合格を得ることが出来ました。1年間の忍耐と努力が実り喜んでおります。指導していただいた塾の先生や健康で受験勉強に励めたことに感謝しております。持っている力を自分の力で引き出させるという塾の過酷なまでの厳しい指導には、現在の学校教育にはない教育の本質を見た思いがします。せっかくの合格でしたが、喜びの気持ちに代えて、被災者に対するささやかな義援金と支援物資を佐賀市役所まで届けてお見舞いとしました。

 小国には行ってまいりましたが、宿のことをゆっくり考える気にはなりませんでした。夜の星は美しく澄んで輝いていました。夜の星が美しく輝けば輝くほどに世の無常、儚さ酷さを覚えずにはおられませんでした。前回も書いたように、儚さの先の希望を信じて生きるためにも、被災者への支援の輪の広がりを、暖かい応援の輪を広げる活動をしていくことを強く思いました。夜の闇の向こうに辛く哀しい被災者の方が、真冬のような寒む空の中で耐えられていることを思うと心穏やかでおられるはずがありません。すべてをなくして打ちひしがれておられる被災者の方々の希望の灯をともすことが、これからの私たちに課せられた大きな務めではないでしょうか。

 哀しみの感傷に浸るのはたやすいことです、しかし被災者の人たちには何の助けにもなりません。今は、感傷や同情ではなく求められているのは、具体的な支援のあり方のはずです。私たちは第三者ではなく国民の誰もが当事者としての自覚を認識する事が大事なはずです。この国において間近であったはずのあらゆる春の訪れは無惨にもうち砕かれてしまいました。古天神の窓から見える向こうの山の景色にも、情緒的な春の気配はいっさい消え去り、目に映るのは哀しげな樹木に、枯れ草が力無くうなだれる、荒涼とした冬のままの景色でした。


        23年3月16日

 







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2011年03月02日

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          花梨の花の蕾

この冬は本当に寒い冬でした。ここ九州でさえ最高気温が5度以下の日も続き、北国の生活の皆さまの過酷さを思い知らされました。皆さんはこの冬をどのような思いで過ごされたでしょうか。余りの寒さに室内で閉じこもり、または朝の寒さに起きるのも辛い毎日だったのではないでしょうか。そんな気候の中、寒い外での仕事の人には、ご苦労様と胸の中で唱えずにはいられませんでした。やっと3月の弥生となり日射しにも暖かさが感じられると気を許し始めたところ、また寒波が戻り、まさに三寒四温の季節となりました。これまでは緩やかに春が近づきつつ、春の足音が一歩一歩と季節が巡る感じでしたが、今年は気温の変化が鋭角に変わっていくのが気がかりです。季節が角張って緩やかさを失い、おおらかさとゆとりを失った、まさに人々の有り様を反映したような季節の変わり目を、少し気にかかりつつ春の初めを迎えています。

 中東ではたちまちのうちに抑圧された民衆のうねりに国の形が変わっていっています。独裁が続いていても、長く続くとその国の態勢に無自覚になっていた世界の秩序の認識に、警鐘を鳴らされているような気がします。またニュージーランドではいきなり地震の惨状に見舞われ、いまだ被災者の身元も分からないことに深く心を痛めます。特に安否不明の多くの若者が
19歳であることがむごさを引き立たせています。高校を出て、夢の実現を目指して語学研修の為の勉学の最中に、地震に襲われることは無念でならないはずであり、被災のがれきの下で右足の切断を告げられた奥田さんの思いは、想像を絶するものがあります。

 そのような厳しい世界の現状の中で、国内では政治家たちの国民を愚弄したような、ふがいなさには呆れるばかりです。国民の為とは口実で、自分たちの党利党略でしか動いていないのが、国民の誰もが気づいている事に、気づかない政治家たちの見識の低さには情けない限りです。もっと、格調の高い振る舞い行動、議論をやってくれれば、仕事や生活の労苦、困難に歯を食いしばって耐えている国民も救いがあるのに、これでは国民が政治家を見放すときが来ることを覚悟して欲しいものです。

 春はそこまで来ています。冬が寒ければ寒いほど春を迎える喜びが深いとは、北国の事と思っていたら、ここ九州でも今年は春を待ち望む気持ちがひときわ高いものがあります。春の到来を皆さまは何でお感じになりますか。気温のゆるみは肌で感じます。日差しが長くなっていることも春の証です。街ゆく女性のファッションにもパステルの色彩が多くなりました。私たちが春を待つように植物も春を待ち望んでいるようです。庭の木々は蕾を膨らませています。新緑の蕾であり、花のつぼみでもあります。社会人の蕾である高校生も卒業の季節を迎えました。長い冬の寒さを物言わず耐えてきた庭の木々の蕾を見ると元気をもらえます。何故なら、これから始まる様々な荒波に、今出て行こうと必死に頑張って葉や花を開こうとする蕾に、樹木の生命のエネルギーが蓄えられている姿を見るからです。寒さに耐えた蕾は春が来て花や葉を咲かせます。季節が間違いなく巡ることを予感して蕾は膨らみます。

 しかしながら、NZランドでは蕾の開く夢を絶たれつつある多くの人ががれきの下にあります。残念でなりません。19歳はまさに人生の蕾です。送り出した家族の悲嘆は言葉に尽くせません。しかしながら、NZランドで若者が夢に向かう姿が人生の蕾の姿とすれば、そのことは私たちが学ばなくてはならないことであり、若者達の意思を継いでいくことではないでしょうか。どう継いでいくかは、それぞれ私たちの課題と言えます。

  春はそこまで来ていますが、春の訪れが誰の上にも必ず来るとは言い切れないのがこの世の定めであり、儚さでもあります。人生の酷さ・儚さは誰の上にも宿していることだけは哀しいかな公平です。庭の木々の蕾も鳥のくちばしでかみくだかれたものもあります、明日の見えない儚さは人間も植物も同じです。ただ、この冬の寒さも遠からず去ってゆきます。また、儚さ酷さの先にも、必ず希望の光はまた灯る事を信じて生きていけるのが、人間の強さでもあります。

 暫く古天神の様子をみていません。多分冬の季節のままに違いありません。しかしながら、その寒い風の中でも蕗のとうは芽を出して膨らみ始めているはずです。雪残る冬の土から顔を出す植物の力強さも私たちを元気づけてくれます。次男の受験との闘いも未だ続いております。1年間の努力に報いがあればと願うばかりで、春の訪れの遅さにもどかしさが募ります。蕗のとうが一面に出ている宿の山を想像しながら、古天神に晴れ晴れと行ける日を楽しみに待ち続けています。


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              桜の蕾      
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              サクランボの花の蕾
    
    23年3月2日



 







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2011年01月26日

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ここ十数年の暖冬に慣れた体には、この冬の寒さは体にこたえます。皆さまはこの寒い冬をどう過ごされているのでしょうか。日本海側の雪も異常なまでの降り方で、雪に慣れた北国でもさすがに今年の大雪にはご苦労されているようです。テレビで見る雪に覆われた街には高齢の方も、病弱な方も、センター試験を受ける受験生もおられるだろうに大丈夫だろうかと心配していました。
 
 九州の人間にとって雪は、虹や積乱雲を見るようにあこがれの自然現象の一つでした。雪が降ったからといって、少々交通が混乱するくらいで生活に大きな影響が出る心配はしていませんでした。むしろ、雪が降るとわくわくとして外で遊んでいたものでした。日頃見慣れている田畑や家並みの景色が一夜にして真っ白な雪景色と変わるのです。雪そのものは冷たいのですが、雪の景色は人の心を暖かくする不思議な力を備えていた気がします。雪がふんわりとすべての物を包んでしまい、現実の醜さをほんの暫く隠していたためかも知れません。

  昭和の30年代まではここ佐賀においても冬になると雪は降っており、山間部では30センチ以上の積雪もみられました。母の実家が富士町の北山であるために、小学生の頃の冬の里帰りは、亡くなった叔父の手づくりの竹スキーをするのが何よりの楽しみでした。孟宗竹を縦半分に割り囲炉裏の火であぶってL字形に曲げたものでした。両足を竹の上に載せただけのスキーだったため、雪の斜面を下まで真すっぐには滑らず、必ず途中で転んでしまい雪だらけになっていました。当時の冬は今以上に暖房器具もなく寒かったはずですが、寒い想い出よりも夢中で雪の中を遊んだ想い出しかありません。ゲレンデでスキーをしたいと後年思うようになったのは、小学校低学年の北山での竹スキーの体験が体の中に眠っていたためかも知れません。本格的にスキーをするようになって、あの竹スキーは丸い竹の筒でエッジが無かったのであんなに転びまくったのかと納得したのでした。

 以前の凍てつくような冬を知ってる者にとってここ数年の冬は、物足りない冬でした。寒い冬はこの年齢になりますと結構体に負担になります。しかしながら、四季の風情を昔々から代々、体の中に受け継いでいる私たちにとって、冬が寒くなく雪も降らないのは、陽光溢れる桜の季節を待つ喜びが半減しますだけでなく、このままでいいのかと足下からひんやりした不安に襲われます。

 振り返れば昨年の夏も尋常な暑さではありませんでした。この冬も本来の寒い冬に戻った訳ではなく、気象異常による寒さのようです。暖かい冬を知った者にとって、元の寒さには戻りたくないかも知れません。しかし、私たち人間の暮らしが、雨や光や水や風や植物・動物の力で循環させていた地球の大自然を歪ませているのであれば、元の季節の姿に戻していく意識を私たちが持たなくては、季節の狂いだけでは済まないことが私たちの子供や孫の世代に及ぶおそれがあります。夏の暑さもこの冬の寒さも、地球の大地が、私たちにもう一度暮らしを考え直すように気づいて欲しくてシグナルを送っているのかも知れません。

 センター試験も済んだし、古天神の打ち合わせに行きたいのですが忙しい用事が山積していて行けないでいます。また、昨年よりは総合点では伸ばしたようですが、次男にとっては苦手とする国語が思うように点を取れず、志望校を迷っていますので願書を出すまでは落ち着きません。
 
 設計の北里さんによると今年は小国町も相当寒いようです。雪も多く降り山の陰は、ノーマルタイヤでファームロードを走り古天神までは近づくのは危険なようです。残念ですが、雪が多く降るとお客様は宿まで来られなくなります。雪の宿ではせっかくの雪景色をお楽しみ頂きたいのに、私たちだけで雪景色を眺めなければならないのは、勿体なくもあり寂しくもあります。仕方ないので、竹スキーでも作って雪の斜面を転げながら滑り、「雪のテラス 古天神」で冬の月でも眺めます。

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 先ほど設計の北里さんから「雪のテラス 古天神」の写真が届きました。想像以上に雪が積もっており驚いています。雪に埋もれてしまっている宿も冬の楽しみとします。
                      23年1月28日   
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2011年01月02日

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最近では珍しく佐賀でも雪の年末年始となりました。皆さんの近くではいかがでしたでしょうか。温暖化の影響で雪も少なくなり、昔に比べたら暖かな冬が続いていました。23年は久しぶりに冬らしい寒くて凛とした正月を迎える事が出来ました。
  新年あけましておめでとうございます。

 今では数少なくなった餅屋さんに年末、正月の鏡餅やお供え餅の予約をしていました。以前は、暮れの28日に臼を据えて、親戚や知人等を招いて餅つきをしていたものでした。つきたての餅のうまさは格別で、また餅米を蒸した後の釜でゆでたうどんに、母手づくりのきんぴらゴボウを乗せて、寒い外の庭で湯気を立てながら食べるのも暮れの風物でした。餅屋さんから予約の餅をいただき正月の準備が始まります。なじみの餅屋さんは、こっそりと餅に入れる餡を少しだけ分けてくれるのですが、その餡のおいしいこと。甘い物を食べると家内が叱るので、これも隠れてこっそりと味わうのも楽しみです。

 29日に墓参り、30日に年神様や鏡餅・三方に米を盛りミカンと干し柿、ダイダイ・炭・生姜を乗せます。お屠蘇を仕込み、昆布とスルメに盛り塩も用意します。所により飾り方も異なるようですが、皆さんの所の床の間はどんな正月飾りが飾られているのでしょう。正月飾りを引き継いだ数年間はなかなか飾り方を覚えられず、昔の人たちはよくしっかり覚えていて引き継いでこられたなと感心をしていたものでしたが、これが伝統を守って引き渡していく事かと。しかしながら、昭和を知っている私の世代でさえ覚束なくなっているので、子供の世代にどうなっているか、日本の正月がどこまで年間行事として残っていくのかを考えると寂しいものがあります。私たちの戦後世代が、日本の伝統行事を旧習として懐疑的となり西洋的な生活に新しさを追い求めたのが、現状の日本の正月ですので責任の一端は嘆いている私たちにもあります。

 温暖化で四季の変化が乏しくなった上に、季節を取り入れた年間行事が廃れていくことは、若い世代には時代の進歩として希望が先にあるととらえているのでしょうか。残念ながら若い世代と話をしていても、明るい将来が待ち受けている等とは思えないと、哀しい目をして語ってくれました。若い世代が希望や未来や夢を描き語れない世の中は、決して豊でも充実した時代でもありません。時代の最先端のハイテク機器をあつかいながら、溢れた物や食べ物に囲まれながら人々は何かを渇望しているのです。人々は以前よりも強く渇望しているのです、物や便利さに満たされれば満たされるほどに心の空虚さを大きくして、人とのつながりが瞬時になればなるほどに、以前は面倒と遠ざけていた人との心の交流を願っているのです。だから、もっとも今の人々が渇望しているのは、物の足りない時代にあった、互いに励まし支え合って生きていた時代の同時代性ではないでしょうか。ものが足りて自立化・個別化が始まり、合理的な生き方は可能になりましたが、先に待っていたのは無縁社会という空恐ろしい孤独死の現実でした。
 
 四季の季節の移ろいの変化が判然としなくなり、晴れの日とヶの日の境もなくなりつつあります。正月は単なる暦の上の1日で他の日と変わらないのは、農業が大事にされなくなったこの国の現状ではいずれ廃れていく運命にあるのかも知れません。しかしながら新たな年の始まりとして、親類縁者が集い先祖のつながりを確認する日として、またはあらゆる万物に神が宿るとして畏敬と感謝の念を表す正月行事と考えれば、いつまでも時代を超えてつながっていって欲しいものです。

ほんの先ほど、大学時代の30年来の愛知在住の友人 日野君から古天神を楽しみにしているという電話とメールをもらいました。いよいよこの8月末のオープンの年となり、身が引き締まる思いと大きな不安を抱えていましたが、古天神に行くことを今年最大の楽しみにするというメールの言葉を目にして、気持ちを新たにしました。宿を楽しみにしてくれる支援の言葉ほど励ましになる、心強くなることはありません。感謝の気持ちで一杯です。友人を初め、皆さまを満足させる宿を目指して歩みを確かなものにしたいと思います

 正月の慌ただしさが一段落した今日の2日 やっと現れたのです。庭の木々の葉が落ち、冬枯れの枝に刺した蜜柑を食べに目白が2羽来ていたのです。朝 蜜柑を半分に切り、枝に刺しに庭に入った頃から、それらしい鳴き声が飛び交うのを聞いていたのでした。半分に切った蜜柑を北の寝室の窓から見えるもみじの枝と、南西の角にある書斎の窓から見えるカリンの枝に刺していました。目白を見るためには2 3日かかるかと思いきや、なんとさっき聞いた鳴き声はやはり目白だったのです。モスグリーンの美しい羽根は庭の中では際だちますし、愛嬌のある目元に鳴き声は暫し目を釘付けにさせられました。昨年の目白かどうかは分かりませんが、目ざとく蜜柑を見つけ飛び回る様子は同じ目白の夫婦と信じたいものです。もちろん、蜜柑を見つけたのは目白だけではありません、ひよどりを初め、鳩もやってきますがしばらくの間は、冬枯れで寂しくなった庭を野鳥の観察で楽しめそうです。

 12月23日、古天神でも打ち合わせをしている窓の外に、名前は分かりませんが紫の羽を胸の辺りに持つ美しい野鳥を見つけ、お客様の楽しみになればと、野鳥の訪問を歓迎したものでした。
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                     23年 1月 2日

 



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2010年12月26日

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 23日の木曜日、今年最後の打ち合わせに行って来ました。寒波襲来の予報が出ていたので冬支度で出かけましたが、この日まではそんなに寒くなく肩すかしを食ったような、ほっとしたような気分で行って来ました。宿泊棟の外観には表側とサイドには黒のガルバを使い、一部ポイント的に朱のガルバを挿入しアクセントを付けました。残りの大半はモルタルの塗り壁とし、彩色は乾燥してからということで、来年に落ち着いた配色の色を決定します。

 室内は徐々に工事が進んでおり、部屋の空間が整いだしました。本館も外観をどの素材にするか検討し、木質の素材に似せた外壁材を貼ることにしました。壁の色彩は、周りの自然と宿泊棟との配色を調和させる色調にするつもりで、ダークブラウンを選択し、一部にポイントの色を置いたり、モルタルの塗り壁を使う予定です。全体的にシックな渋い大人の宿を目指していますので、ファームロードから下って来られたお客様が視覚的に期待を膨らまされることを目指しています。宿に着かれたときに、まずは宿と本館の外壁に目をやられて想像をあれこれと巡らされ、期待通りなのか予想と違うのかはお客様の想像にお任せして、宿泊棟に入られてからの室内のあつらえは期待に背かない内装にしていく予定です。

 室内に入られてから多分想像ですが、先ほどは内部のことを言いましたが、まっさっきに驚嘆されるのは広い開口をとったテラスからの眺めではないでしょうか。特に何か際だった景色が見えるわけではありません。ただ、山の景色が見えるだけです。その山の景色が遠景としてではなく、身近な、宿泊されたお客様が独り占めされた景色として見ていただけるのです。打ち合わせに行くたびに何かを感じていたのは、他人のような景色ではなく自分のために存在している景色だからだったと、気づいたのでした。

 以前の山は杉が植えられており、山の景色に風情が感じられなかったのです。だから他人のようなよそよそしい景色だったのです。そこを牧野組合さんから譲っていただき、杉を伐採して小国町の森林組合さんに依頼をしてコナラ・クヌギ・もみじ等の落葉広葉樹を植えていただいたのでした。山が明るくなり、山が個性を主張しだしたのです。山もただ一つの樹種ではなく多様な木々を育んでこそ、山に表情が出てくることを発見したのでした。その表情が宿泊棟の広い開口部から目の中に飛び込んでくるのでした。まだ低木で暫くは成長を楽しみに、雑草の山の景色になりそうですが、四季の変化を重ねていくうちにドングリの山になり、樹木と植物と鳥や動物が、そして人間が共生できる山になることを願っているのです。

 A棟で北里さんと打ち合わせを行っているのですが、静かなのです。これまで聞こえていた何かが無いのです。北里さんに言われて気づきました。向こうの山との間を流れている小川の瀬音が聞こえないのです。開口部の広い透明の引き戸を開けると、耳に飛び込んできました。瀬音はペアー硝子の窓に遮断されていたのです。その威力は聞いていましたが驚きました。確かに冬の山の中では夏と違い、瀬音が遮断されて、しーんと静まりかえった景色こそが冬の魅力の一つのようです。

 次回の打ち合わせは次男のセンター試験の済んだ2月となりそうです。
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2010年12月18日

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前回の佐賀の紅葉したもみじの横にレモンの写真があったのをお気づきでしょうか。そんなに黄色く色づいていないので葉の中に隠れて写真では見つけにくくなっていますが、このレモンは大いに活用させてもらっているのです。料理のドレッシング作りにはなくてはならないものだし、冬の風邪の予防のホットレモンとしても重宝しています。

 レモンは今でこそ物産所等で国内産が多く売られていますが、以前はサンキストのアメリカ産しか手に入らなかったものです、販売されている所も限られていましたので珍重品の一つだったかも知れません。レモンのが今のように多く出回らなかった時代のレモンは、多くの柑橘系の中でも何故か特異な存在だったような気がしますがいかがでしょうか。温州ミカンのように茶の間で食べるという果物ではないし、日本料理に使う習慣はないし、日本の生活になかなかとけ込めなかった食材のような気がします。

 これからも、レモンは柑橘系の中では確かな位置を占めるのかどうかは分かりませんが、たくさん生産されていくのは間違いないでしょう。何故ならば、レモンに限らず農産物の国際化が進み、これまでの従来の農産物に飽き足らなくなった消費者や個性的な生産者との需給の一致が背景にあるようです。都会のレストランで先駆的なシェフや板前さん達の目や舌が求めたのであり、それを食するお客様方の味覚が支援させたもののようです。トマトにしてもなすびにしても今までのその形・色の持つ概念を覆すような農産物が続々と出荷され購入されているのです。その善し悪しは別として、食の多様化は豊かな生活を求める人々の帰結であり食の文化の向上のためには通らなければならない道でもあります。

 奇抜な料理法や突飛な食材を使うつもりはありませんが、洒落たセンスのあふれた食材や料理は取り入れるようにしたいと思っております。食の多様化の中で日本の伝統食や郷土食も見直され、注目も集めています。西洋料理全盛のころは日本料理が衰退していき、ファーストフードが流行りだしたら家庭料理が衰退していき、日本食が海外で健康志向ブームとともに注目され初めて、やっとまた日本の料理の素晴らしさに多くの日本人が気づきだしています。その食の多様化の中で伝統食も郷土食も、見直され正月のおせちの良さが見直されるのも間近いはずです。正月には日本の文化が集約されているし、正月料理を囲んで家族が再会し絆を深める、正月ぐらいは慌ただしさから解き放たれてゆったりした時間を楽しみたいものです。

 レモンの事が頭の片隅から離れないのは、大学に進んだおり文学に傾倒していたサークルの1年先輩の狩野さんから、「檸檬」という題名の小説を知っているかと問われ、作品どころかレモンの実物さえ見たこともない田舎出の大学生にとっては衝撃的なことでした。梶井基次郎の作品「檸檬」を読んだことは言うまでもなく、丸善の本棚の上に置いて店から出ていく作品の内容の衝撃性はいつまでも頭の中に残っていました。3年前、私は鳥栖商に転勤して教師最後の3年担任だったおり、はじめて顔を出すクラスの生徒の前の教卓の上に、何も説明をせずにレモンを置きました。レモンから受ける様々な感想を求めたのでしたが、生徒達はどう考えたらいいのか戸惑っていました。私と最初に出会う生徒に、私にとっては最後の担任となる生徒達に、レモンの形状の多様性と特異性を示し、受けてきたこれまでの概念の混乱と新たな発想を期待したのです。

 ちなみに家のレモンは、私が最初に赴任した31年前の高校の最初の3年担任の卒業の記念に生徒や職員に学校から贈られたものです。卒業生はもらったことさえ忘れていましたが、私のは幸いに母が植えてくれていた為に生存しています。私も最初の数年間は忙しくてレモンの存在さえ忘れていました。料理をはじめてからはレモンはなくてはならない存在であり、特異な形状は、事変わったものに惹かれやすい私の生き方をも導いてくれているのかも知れません。

 散り残る名残のもみじの横で、青かったレモン達が、黄色の色を次第に濃くしています。庭の彩りと確かな季節の移行を、特異な形状と色合いでレモンは放ち始めました。
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2010年12月07日

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 12月となり冬らしい気候となりました。ずっと暖かい日が続いていたせいか、庭のもみじの色づきが遅く、また冷気が足らないせいか、一部はすでに枯れ葉になったりと、まだら模様の紅葉となりました。やはり紅葉が美しいのは古天神のような標高の高い寒い地が見事のようです。佐賀でも寒い冬は、結構美しい紅葉が見られるのですが、今年の庭のもみじは期待はずれでした。庭のもみじは、古天神に移植するために数年前から、種から育てていたものです。しかしながら、あまりに大きくたくさん育ってしまい、扱いに困ってしまいました。もみじの周りには桜が植えられており、春と秋にはそれぞれ花や紅葉を楽しめるのですが、落葉樹の枯れ葉の多さには、少々うんざりしています。枯れ葉の戻る場所の「土」をなくしてしまっておきながら、コンクリートの上を舞う枯れ葉を厄介者にするのは、身勝手すぎるのかも知れません。

 佐賀では2年前の秋から北九州の渡辺さん夫妻を第1回として宿の料理のための試食会を始めていました。途中息子達の大学受験のために休止が1年間ほどありましたが、試食会は23回目となりました。まだまだ、やらねばならないことも多く料理の道は厳しいのですが、皆さまから受けた色んなアドバイス・ご教示は本当に助かっております。今後の料理に生かしていきたいと思っております、ありがとうございました。忙しい中、まだ至らない私の料理を食べに来ていただいた事を感謝しております。諸般の事情で、試食会は暫し休みとして、次男のセンター試験終了後に再開したいと思っております。

 試食会は休みとしますが、料理の研究はもちろん続けていくつもりです。2年前はイタリアンを中心とした料理にするつもりでしたが、皆さまの料理に対する意見の大半は和食を食べたいと言うことでした。しかしながら、和食の道は奥が深すぎるし、繊細な味を簡単に出せるものではありません。そのために、私なりに工夫をして食の素材を生かし、かつ洒落た味の食事が出せないか頭を悩ませています。皆さまの良きアドバイスをいただきたいと思っております。この試食会が休みの間は正月のおせちを研究したり、来年の試食会に備えて料理のメニューの検討と料理の実践を重ねていきたいと思っております。22 12 8(水)

 
                            
 
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2010年12月06日

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寒い雨の中12月2日、打ち合わせに行きました。やはり12月の古天神ともなれば、前回の山にあった紅葉はすでに葉を散らし冬の景色に代わっていました。殺風景な冬景色の中にしっとりととけ込んで、落ち着いた宿の壁の色が目の前に現れました。和のモダンな宿にしたいという希望にぴったりの色の壁がついていました。山の色は単色となりました代わりに宿の壁が色づきました。まだ、足場等が残っているので宿全体の外観の様子は1月頃となるようですが、ご期待下さい。設計の北里さんの配色のセンスに感謝しています。雨の寒い中でも大工さんや左官さん達は黙々と着々と仕事を続けられていました。ご苦労様です。

 本館の上では北里さんとこれからの工事の段取りや、熊本のドリームプランの大倉さんと宿泊棟に備える浴衣やアメニティー等の打ち合わせを行い、たくさんのアドバイス等もいただきました。これから宿を経営する者とっては、何もかもが始めてで余りにも用意するもの準備するものややることが多すぎて頭を痛めていたので、大いに助かっています。お客さんのためには可能な限りのサービスや、上質のサービス、多様なプラン等をご提供出来るよう努めていきたいと思っております。

 宿泊棟の内部の工事も徐々に進んでいます。だだ広かった空間に壁が建てられ窓が付き、風呂に浴槽の基礎が付き、次第に部屋らしい間取りが整いつつあります。山と小川の景観を部屋の中から目一杯楽しんでもらうことと、部屋のリビングでゆっくりくつろいでもらうことを重要な宿のコンセプトにしているので、お客様には充分満足していただけるとおもいます。

 車のタイヤをスタットレスに履き替えて、12月中旬に今年最後の打ち合わせに行く予定をしています。そのときには宿泊棟すべてに壁がついているようなので楽しみです。

12月は寒くなる予想ですので、雪が心配ですが、雪もこの古天神では大事な景観の一つ、冬景色の一つと考えています。雪の露天風呂は温泉宿の魅力の一つです。
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 12月に入り、佐賀では気温が下がり、やっと紅葉の本番が始まって街中が色づいています。だから、まだ秋の終わりのような様相で少し寒くなった感じですが、ここ古天神ではもうすでにとっくに紅葉は終わり11月に真っ赤に色づいていたもみじ達はすべての葉を散らして、枝だけの寒々とした冬の木立の様相を見せていました。古天神は冬そのものでした。

 標高が高いため冬の寒さは相当厳しいようです。果たしてマイナス6度にも7度にも下がる気温の中で、宿の仕事が務まるのか不安もあります。暑さにも寒さにも弱い私がここで過ごしていくためには、ここの気温に体を順応させなくてはならないのですが、お客様のために体を動かし続けていくうちに、気づいたときには慣れていたと思えるようにならないかと、淡い期待を抱いております。もっと過酷な、標高千メートルの地でも、人との温かい触れ合いを励みに生活を楽しんでおられる「桃花庵」さんを目標に頑張りたいと思います。

 ただ、冬は他の季節にはない楽しみもあります。静まりかえって何もない窓の外の風景を見ているだけで心の奥のざわつきが収まってくる気がします。見なくてもいい光景を見たり、聞かなくてもいい雑音に囲まれながら生活をしていると、いつの間にか時の流れに流されていたり、心の奥に置かなくてはならない確かなものを失っていくような気がします。

 宿の周りには生活のにおいはほとんどありません。しばし現実の生活から離れて、冷たい空気に体をさらし、疲れた心を蘇生させてゆっくりとくつろいでいただける宿にしたいと思っております。

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2010年11月11日

 
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 忙しくて打ち合わせに行けず、やっと1ヶ月振りに古天神に行きました。本館には黒いガルバの屋根が乗り、隣では温泉を掘り当てていただいた産興の後藤さんが井戸を掘っておられました。後藤さんには久しぶりにお会いし、温泉が出たときの感激がよみがえってきましたが、お元気そうで何よりでした。オープン開始前には水中ポンプや温泉を汲み上げるパイプの点検が必要とのことでした。

 まず、露天風呂を造っていただく松平さんと風呂の位置等を確認しました。当初は宿の前にある大きな岩の周りに造る予定でしたが、宿の前では落ち着いて風呂に入れないだろうということで、宿泊棟の横に変更しました。そこには、もみじの群落があり、この日は真っ赤にもみじが染まっていたので、真っ赤な紅葉の中で川の音を聞きつつ露天に入るイメージを想像しただけでも楽しくなりました。

 設計の北島さんとは宿泊棟の外壁や寒い冬の暖房をどうするか検討しました。外壁の色はセンス良い配色をしていただいた、仕上がった段階での写真を楽しみにしていただここととします。暖房については、寒い冬が長いこの地でのお客様が快適に過ごしていただくことを第1に考えて電気式の床暖房を取り入れることにしました。

 外壁の工事が終わったら、次は内部の工事にはいるとのことです。寒い冬の工事に大工さん達も大変でしょうが、時間を掛けてじっくり検討を重ねながらお客様の満足を達成できるように、工事は少しずつ進んでいますのでご期待下さい。   22 11 11(木)

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 1ヶ月ぶりに打ち合わせのために、古天神に行って来ました。佐賀も冷え込んでいたので紅葉を楽しみしていました。

 道すがらの山も辺り一面色づいており秋の終わりを感じさせていました。現地に着き、ファームロードから坂を下ると目の前に真っ赤に色づいたもみじが1本飛び込んで来ました。その周りも朱や黄色の濃淡を重ね合わせたもみじの群落。対岸にも、もみじの群落の親木であろう大きな1本のもみじが、紅葉の終わりの姿を見せるように葉を散らしながら偉容を見せていました。

 このもみじの群落があったためにこの地を気に入り8年前に購入したのでした。しかしながら、このような紅葉に染まった季節には来合わせていなかったので、色づいた古天神の魅力を再認識しました。

 紅葉がもっとも色づいて美しくなるのは、気温が冷え込まないと色鮮やかに染まらないようです。ここ数日は0度近くまで冷え込んだために紅葉が一気に進んだようです。まだ、足場があったり宿の外壁も工事途中ですので、紅葉の本当の美しさを堪能できるのは来年の11月になりますが、紅葉の真っ盛りの1週間をお客様に楽しんでもらうことを想像しながら古天神を後にしました。 22 11 11(木)

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2010年10月20日

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秋晴れの10月14日(木)、簡単な棟上げと大工さん達の慰労を兼ねて出かけました。小園川に架かるファームロードワイタの古天神橋の上まで来ると、宿の姿が見えてきます。

宿泊棟は以前のままで、外観までで工事がストップしています。内部の間取り等の調整をおこなっているためです。そして、入り口の近いところにフロントとレストルームが入る本館が立ち上がっていました。

大工さん達は忙しそうに屋根の上や骨組みの柱のところで仕事をされていました。設計の北里さんの案内で中に入り、レストルームの場所や厨房、フロントの場所を教えてもらいました。

レストルームは結構広く、3組様のお客様にはゆっくりお食事を楽しんでもらえるようです。まだまだ、具体的な形は出来てませんので、北里さんと相談しながら内部の間取りを詰めていくつもりです。

レストルームから外を眺めると秋の色が濃くなっていました。次は11月に出かけて、宿泊棟や本館の外壁の色を決めたりする予定です。
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古天神
 10月14日(木)に本館の棟上式を行いました。
宿泊棟は3棟の外観が出来上がり、内部の間取りや内装の工事を行っています。
設計事務所の北里さんとあれこれ話し合いをしながら、お客様の視点に立って
アイデアを出すようにしています。

 5月の完成を目指して、大工さん達も頑張っていますのでご期待ください。
オープンは8月下旬の予定
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2010年10月02日

古天神
この夏は小国町でも暑かったようです。
ここ古天神の標高は700メートルあるために夏でも木陰に入れば爽やかな高原の風が吹いていました。
佐賀ではエアコンなしでは寝れないような夜でも暑さ知らずの別天地でした。
秋となり朝晩はもう寒いくらいの気温になりましたが、至る所に虫が鳴き、コナラ・クヌギ・もみじ等の広葉樹の紅葉もすでに少しずつ始まっています。
全山真っ赤に燃える紅葉もすぐそこまで来ています。
この古天神と出会って以来、空気の爽やかさと空気に味があることを発見しました。
佐賀の街と違って、樹木が多いため空気の密度の濃さを肌で感じます。



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